文房四宝こぼれ話 第2回 巻菱湖① 菱湖と五郎兵衛 文/濱田薫

文房四宝の学習所・研舎を主宰する著者が、
長年の研究を通じて得た「文房四宝こぼれ話」を披露します。
ときには、「文房四宝こぼれ話」の、さらなる「こぼれ話」になることも?
連載をはじめてお読みいただく方は、最初に「前説」をご一読のほど。

文房四宝の学習所・研舎を主宰する著者が、長年の研究を通じて得た「文房四宝こぼれ話」を披露します。ときには、「文房四宝こぼれ話」の、さらなる「こぼれ話」になることも? 連載をはじめてお読みいただく方は、最初に「前説」をご一読のほど。

第2回 巻菱湖① 菱湖と五郎兵衛

 天才棋士・藤井聡太氏の登場で、俄然盛り上がっている将棋界。様々なメディアで取り上げられて、将棋を指すシーンなどしばしば目にする。そんな折に、ふと駒に印された文字が気になってしまうのは、まぁ、ある種の病の類か。巻菱湖(1777-1843)、幕末の三筆の1人と説明するよりも、明治政府の公用書体だったと言うよりも、今や将棋の駒の字の大元を書いた人と言った方が、通りがよさそうだ。

 菱湖は、良く知られているように、19歳で単身江戸へ上った。その2年前に母親が自害しているというのだから、物見遊山のような明るい上京ではなかっただろう。そして、亀田鵬斎(1752-1826)の門下となったのだが、この際、どういう経緯なのかは不明ながら、筆屋の高木五郎兵衛のお店に転がり込んだ。後に名を成す菱湖といえど、19の若造が右も左もわからない大江戸で、お店の2階に仮住まいさせて貰えたことは、大層ありがたかったことだろう。
 そんなわけで、菱湖にまつわる逸話の中には、しばしば高木五郎兵衛が登場する。それらでは、概ね出入りの筆屋として単純に描かれているが、実際の両者の関係はそれよりももっと深かった。親類縁者の少ない菱湖にとっては、まさに親族と言って良い、かけがえのない大切な間柄だったようだ。

 五郎兵衛のご子孫に残されている菱湖の消息を読むと、そのことがよくわかる。時に菱湖は五郎兵衛へ足利から届いた松蕈を贈り、また牛肉が手に入るとそれもお裾分け。江戸時代の2人が牛肉を食べていたことにも驚くが、「背肉よりわきを割られ候て」などと調理法にまで触れているところをみると、結構な好物だったのじゃなかろうか。

巻菱湖 消息
(高木五郎兵衛宛)

 無論、五郎兵衛からもいろいろな贈り物が届けられたことだろうが、出し手の元に文は残り辛い。それでも、少しは垣間見られるもので、ある時などは水戸様から拝領した鮭の半身が菱湖へ届けられている。貰った菱湖は、そのお礼がてら、屏風を認めたから見に来て欲しいなどと返書を出している。

巻菱湖 消息
(高木五郎兵衛宛)

 屏風を認めたなどと言う格別な用事もないけれど、お咄申したくと言って、菱湖はしばしば五郎兵衛を招いた。ある時、不快故に面会をことわった菱湖、その後、別段何のこともないのでお咄したくと、再訪を乞うている文がある。

巻菱湖 消息
(高木五郎兵衛宛)

 ふ~む、ちょっとばかり想像を逞しゅうしてみよう。癇癪持ちだった菱湖、頭に血が上ると面会謝絶はしばしばあったことだろう。その日も偶々爆発したが、しばらくして冷静になると、断った相手がお土産を持って来た高木、しかもご隠居様だと気づいた。こりゃまずい! 菱湖、慌てて文を認めた。

 壱樽を分けながらお咄にお出で下さい。始めに約束していた今日の烏絲欄五本と魁三袋、これを肴にして……。

 烏絲欄と魁は筆の名前で、菱湖が愛用した高木取扱いの製品。ま、あくまで想像なのだが、なんとも、菱湖の高木家中への心遣いと、その人となりがにじみ出ている気がする。

*掲載資料はすべて個人蔵

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