『中国書道史カレンダー 2026』

『中国書道史カレンダー 2026』
光和出版 2025年12月刊
定価/666円(本体600円+税)

光和書房と游墨舎によるポストカードサイズ(100×148mm)のオリジナル卓上カレンダー。
図版協力は《王羲之逍遙》《游墨春秋》の木雞室。
卓上で立てられる透明ケース付き。

光和書房のウェブサイトにて、新品をご購入いただけます。
実店舗では、光和書房の小川町本店・神保町店にて、新品をご購入いただけます。

【図版構成】(図版協力/木雞室)

・1月/孔子廟堂碑 7世紀(唐時代)
・2月/吉語塼 1〜2世紀(後漢時代)
・3月/萊子侯刻石 16年(新・天鳳3年)
・4月/安刻本書譜 7世紀(唐時代)
・5月/楊淮表紀 173年(後漢・熹平2年)
・6月/心太平本黄庭経 356年(東晋・永和12年)
・7月/史墻盤 紀元前10世紀(西周時代・恭王期)
・8月/張遷碑 186年(後漢・中平3年)
・9月/牛橛造像記 495年(北魏・太和19年)
・10月/乙瑛碑 153年(後漢・元興元年)
・11月/石門銘 509年(北魏・永平2年)
・12月/枯樹賦 630年(唐・貞観4年)

【作品解説】(解説/木雞室)

1月/孔子廟堂碑 7世紀(唐時代)

 虞世南「孔子廟堂碑」の唐石原拓本の伝来するものは、世界に唯一本のみが三井文庫に伝えられ、これとても完本ではなく、後の宋時代に重刻された関中本の拓本で半分ほどが補われている。
 図版の「孔子廟堂碑」は、元時代の至元年間(1264〜1294)の頃に山東省城武県で重刻された城武本の旧拓である。唐楷の極則と称せられる唐石本のもつしなやかで力強く、伸びやかな書風をある程度具えている。

参考▶木雞室名品《游墨春秋》 第2回 孔子廟堂碑

2月/吉語塼 1〜2世紀(後漢時代)

 漢代頃に入ると建築用の塼に文字を印したものが多く見られる。小さいのから大きいのまで様々である。特に吉語を記したものは、石碑の重厚さとは異なり、非常に親しみやすい。これは、吉語塼の中で最も大きく、珍しいものであろう。漢印の印面の文字布置を彷彿とさせる。字画の少ない「相」「毋」「忘」の文字は周囲を線で補ったりする工夫が種々見られる。3字で1句を成し、8句からなる。近代の金石家・林思進の跋文が付されている。
(釈文)富貴昌 宜宮堂 意氣陽 宜弟兄 長相思 毋相忘 爵禄尊 壽萬年

3月/萊子侯刻石 16年(新・天鳳3年)

 「萊子侯封田刻石」「天鳳刻石」とも称せられる。縦に界線が刻され、その間に5字ずつの8行からなる。文字は大きく、力強い。刻り方が粗いのであろうか、後の時代の流麗な刻石とは大いに異なる。その荒々しい刻りからも十二分に隷書特有の左右の払い、横画の末の押し出しなどに、毛筆的な抑揚が顕著に見られる。小品であるが、古隷の代表作の1つということができよう。
 現在、この刻石は山東省孟廟に置かれている。この拓本は一般に撲拓が多い。図版拓本は、擦拓による精本である。この2種の拓を比較してみると、文字の字画が微妙に異なり、擦拓の方が力強い字画を呈している。

4月/安刻本書譜 7世紀(唐時代)

 唐の孫過庭が文を作り、書したものである。この真跡は、台湾の故宮博物院に蔵されている。清の康熈55年(1716年)、当時の大収蔵家・安岐(字は儀周、麓村、松泉老人と号す)がこの真跡本を模勒上石した。
 ここに示したのは、烏金拓精本である。草書の各字の右端に金泥の釈字が小楷で書かれている。末に裕瑞(輔国公、思元主人と号す)の道光年間の跋が付されている。この安刻本の原刻は図版に見るように非常な精刻である。一般に見られるものは、後の翻刻本であり、原刻の旧拓に出会うことは稀であろう。この帖は、惜しいことに巻頭の6行(1頁分)が失われている。戦前に博文堂から刊行された『安刻書譜』と同種のものである。

5月/楊淮表紀 173年(後漢・熹平2年)

 漢中の摩崖碑の1つ。楊淮と楊弼の功徳を賛えた刻石である。その書風は石門頌に近く、石門頌よりも点画の抑揚は少なく、その朴訥とした筆勢は実に味わい深いものがある。その文字の結構・章法とも自由自在に変化し、天然の自然の趣きを形成している。近年、漢中の摩崖の拓本は割合多く流布しているが、旧拓本は少ない。
 図版の拓本は、白綿紙の淡拓の旧本である。一部拓紙が損しているが、非常に鮮明な字画を拓出している。1行目の上部の3字ほどが拓出されていない。拓し忘れたか、またその当時、この部分の文字が土銹などで覆われて確認されていなかったのか。末行上端の「黄」字のように。

6月/心太平本黄庭経 356年(東晋・永和12年)

 王羲之の小楷の第一に挙げられる。巻末に「永和十二年」とあり、王羲之50歳頃の作とされる。種々の刻本が伝来する。影印本などで一般に見られるものは「水痕本」と称される系統で、10行目に損痕があり、また16行目末に「無事太平」とある。ここに示した「黄庭経」は、一般に「心太平本」と称せられる。「水痕」も無く16行目を「無事太平」に作る。この系統の刻本は非常に少ない。
 「心太平本」の最も有名な拓は、趙孟頫旧蔵本がある。ここに示した「心太平本」は、この趙孟頫旧蔵本と書風、字画がほぼ同じである。しかし、同一の拓本ではなく、別本である。趙孟頫旧蔵本は天下の名品とされるものであるが、この「心太平本」と比較すると、字画がやや軽く弱い。この「心太平本」は、堂々たる力強さを秘めている。

参考▶木雞室名品《王羲之逍遙》 第6回 心太平本黄庭経

7月/史墻盤 紀元前10世紀(西周時代・恭王期)

 1977年に陝西省扶風県より出土。現在、周原博物館に蔵されている。18行、280余字、前半9行、後半9行の2段に分けられている。解放後、発見された青銅器の中で最も長文の銘である。「大盂鼎」「大克鼎」に比して、やや小ぶりの文字であるが、非常に整った書体であり、また保存が長いせいか、字画が非常に鮮明である。末行のみ、1行あたりの字数が多く配されている。
 この銅器を蔵している周原博物館のあたりは、殷末から周にかけての都市があったらしく、この地域より、清朝後期から現在にかけて出土する青銅器は多い。

8月/張遷碑 186年(後漢・中平3年)

 後漢末期の隷書碑である。原碑は山東省の泰廟に蔵されている。波磔を具えた八分隷であるが、文字の大きさに比して、字画が太く、また碑面がやや荒れているせいか、雄厚古樸の趣があり、力強さを秘めた魅力ある隷書である。
 この拓は、清末民国期のごく普通の近拓本であるが、旧蔵者は近代日本書道の泰斗と称される日下部鳴鶴である。帖中に「東作」(白文)「八稜硯齋」(朱文)「快雪珍蔵」(朱文)などの鳴鶴翁の蔵印が鈐されている。また各頁の欄外の余白には碑文の不鮮明な文字に対する釈字が朱筆で書かれている。その朱書は鳴鶴40代頃の書であろうと想像される。鳴鶴の古典学習の一面を見ることができる面白い帖である。この帖は、恐らく、楊守敬が将来して鳴鶴などに売り渡した碑帖の1つであろう。

参考▶木雞室名品《游墨春秋》 第15回 張遷碑

9月/牛橛造像記 495年(北魏・太和19年)

 中国三大石窟の一である龍門石窟には、夥しい数の造像記が残されている。造営初期の造像記の優品が、北魏時代の書法等の学習の範本とされてきた。書法の優れた20種の造像記が、「龍門二十品」と称せられている。「牛橛造像記」(「長樂王夫人尉遲造像記」とも称す)は、「始平公造像記」などとともに重厚で力強い筆勢の、典型的な龍門造像記を代表する書風を示している。ここに示した拓は、2行目の末「亡息牛橛」(図版に示した剪装本の5行目)の「橛」字に、僅かの破損もない「初拓精本」である。

参考▶ColBase 牛橛造像記

10月/乙瑛碑 153年(後漢・元興元年)

 「孔龢碑」「漢魯相乙瑛置百石卒史碑」とも称す。百石の卒史を孔廟に置き、廟を守らせることに関係した乙瑛等の功績を称えた碑である。清の翁方綱はこの碑を評して、「骨肉均しく適し、情文流暢なり……」と。文字の点画の質の高さは、漢隷中の最たるものである。波磔の抑揚も自然で伸びやかでありながら、中に渾厚な趣きを秘めている。文字の結構は、工整で、精細な美しさを具えている。

11月/石門銘 509年(北魏・永平2年)

 磨崖碑である。「開通褒斜道刻石」「石門頌」「楊淮表紀」等と同じ地域にある。ともに漢中の修路の記念碑である。石門銘はこの漢中隷書刻石の中にあって北魏時代の楷書体である。その書は清末の康有為をして「神品」と言わしめた六朝刻石中の傑作である。「飛逸」「奇渾」「飄逸」の評語がそのままの、雄大で力強い書である。これまで種々の拓本が紹介されてきたが、その中でも書道博物館蔵の淡拓の「此」字未損拓本が有名であった。この家蔵本は、同じく「此」字未損の旧拓であるが、字画が非常にくっきりと見ることができる。清代の金石家・黄易漢画室旧蔵本である。

参考▶木雞室名品《游墨春秋》 第3回 石門銘

12月/枯樹賦 630年(唐・貞観4年)

 北周の庾信の作を褚遂良が書いたと伝えられている。拓本で伝来するのみであり、褚遂良の作とする確証はない。しかし、行書の手本として尊ばれてきた。一般に知られるものとして、明代の『戯鴻堂法帖』や『玉煙堂法帖』に収められたものが有名である。他に『聴雨楼法帖』にも収められている。ここに示したのは、『聴雨楼本枯樹賦』の精拓本である。

参考▶木雞室名品《游墨春秋》 第26回 枯樹賦

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