Instagram展開中! 西村修一のShodo見て歩き vol.7 追悼 柿下木冠 近作展 2024

追悼 柿下木冠 近作展 2024
会期 24年2月15日〜20日
会場 静岡市葵区・ギャラリーえざき

自由
非戦

 少字数書をよくした柿下木冠の遺作展がお別れ会と併せて24年2月、静岡市で開かれた。
 柿下が率いた2つの社中が合同で開いたお別れ会には、地元静岡の各社中の書家はもちろん、芸術関係者、全国からは独立書人団の同人や会派を超えた書友ら合せて200人以上が詰めかけた。書に熱かった故人を偲んで、本当に多くの興味深いエピソードが語られ、本人もよく歌った「カスバの女」をアカペラで捧げる友人までいた。集いは昼から夜まで休みを知らないまま続けられたほどだった。
 柿下がこれほど惜しまれ、慕われたのは、やはり書に対する情熱や行動力が、他に類をみないほど強かったからではないか。
 柿下は1940年、静岡県の大井川上流域の山間部で杉林を護る林業一家に生を受けた。山や川、自然、もちろん家庭環境には恵まれたが、中学時代には片道1時間半歩いて通学したという苦労も味わっている。実は柿下は死の直前まで、早朝の長時間ウオーキングをこなし、時に頑固とも思える自制心の強さを見せていたが、この原経験が書道に必要な足腰や精神力を培ったのではないだろうか。
 その柿下が書の道に進むことを決定づけたのは、師である山崎大抱、そして手島右卿との出会いである。書道部に入っていた高校生の時、静岡学生書道研究会で山崎の指導を受ける機会があり、その人間性と作品に強い感銘を受けたという。続いて山崎の師である手島にも会い、2人の「書は男子一生の仕事」という気概に触れ、大学進学をせず「手島山崎大学に入る」と決めた。
 現代書を代表する少字数書、とりわけ内面性を重視した「象書」を提唱し、書芸術の国際的な展開を目指した手島。手島の理念を実践した山崎。2人のもとで古典臨書から、象書まで徹底的に鍛えられ、筆力を付けていった。
 2人に心酔する柿下は、最初の個展を1977年、なんと米国の地方都市であるオマハで開催した。現地では大変な話題になったようだ。2000年代に入ると、米国ニューヨークで音楽と席上揮毫というコラボレーションにも挑戦した。筆者の友人がコロンビア大使を務めているとき、同国でも開催し、ここでも書の面白さ、芸術性をアピールし、人気を博したという。
 今回の個展でも、例えばウクライナへの思いを託した「自由」や「非戦」など社会性、国際性を強く意識した作品群が多数展示されていた。いずれも力強い筆線と造形で、いかにも手島門下生らしい。自然と観るものの内面に入り込んでくる迫力がある。
 その一方で自然の中で育った柿下らしく、古里の風景、最近は富士山をテーマにもとりあげていた。若いころの原体験で育まれた、清々しい故郷や自然を大切にする思いが強いのだろう。「六本木(木立)」「縄文杉」「八十八夜」などの近作を前にすると、その風景が目に浮かぶようだ。
 杉林の輪廻。柿下門から、どんな書の木立が育つのか。見守り続けたい。

(書道ジャーナリスト・西村修一)

お別れ会の会場
縄文杉

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