書壇点描 vol.3 今井凌雪生誕百周年記念展 ─凌雪の心─

東京展 2022年7月28日(木)~8月1日(月)
上野の森美術館

徳島展 2022年10月1日(土)~11月13日(日)
徳島県立文学書道館

奈良展 2022年12月14日(水)~18日(日)
奈良県文化会館

東京展の会場風景
万博壁書
展示の様子
万博壁書
作品横の説明
陸游詩
1982年 日展 文部大臣賞
225✕70
断鴻零雁
1973年 現代書道五十人展
68✕69
臨尖山摩崖刻経一節
1997年 雪心会展 246✕67✕6

あたりまえに書けば良い

 今井凌雪は、大正11(1922)年、奈良生まれ。立命館大学卒業。辻本史邑に師事。29歳で日展特選をとり早くから注目される。
 東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授を務める。書法研究雪心会を発足。中国語に堪能で、浙江美術学院客員教授、上海復旦大学兼職教授、西安中国書法芸術博物館名誉館長等を歴任し、北京の中国美術館、南京博物院にて個展を開催した。西泠印社名誉社員。 
 日展、日本書芸院展他で活躍する傍ら、テレビ「NHK趣味講座 書道に親しむ」等への出演、映画「乱」「夢」「まあだだよ」(いずれも黒澤明監督作品)のタイトル文字揮毫でも知られる。著書多数。平成23(2011)年、享年90歳で逝去。

 本展は、今井凌雪生誕百年を記念して開催された回顧展である。8年前の「今井凌雪─人と書のすべて─」に続く回顧展で、代表作とされる作品は再度展示されるものの、それ以外はこれまで展示の機会のなかった作品が多く選ばれた。特筆すべきは、1970年の日本万国博覧会の展示作品が半世紀余を経て公開されたこと。縦5メートルの超大作は、上野の森美術館の天井ギリギリで迫力満点だ。左から右へと書き進めてあるのも欧米の人々へのサービス精神からだろうか。この作の前では、「万博の時、自分は小学生だった」「自分は中学生だったなあ」等々、当時を振り返って懐かしむ会話が弾んでいた。

 さて、通覧して思うのは、今更ではあるが今井凌雪という書家のもつ表現の多様性である。書体、書風、表具の様式など一作品ごとに異なり、さまざまな挑戦がなされてきたことに改めて思い入る。作品のバックグラウンドの大きさやいかほどか、想像さえできないほどだ。

 これは今井凌雪自身も語っているところだが、作品制作の方法は大きく分けると2つある、と。要約すると、古典として尊ばれている名品や新出土の文字資料に学び、それを自分の中に取り入れて自分なりに書くという方法。もうひとつは、習い覚えた技法などすべてを忘れ心の命ずるままに、無心で書くという方法。この2つが混在することで、知性と感性、熟練と古拙、相反する要素が絡み合い、筆者は今井凌雪という作家を一括にする言葉をみつけられないでいる。

 ところで、この年代の人は皆、戦争体験者である。今井凌雪も戦闘機に乗り出撃した経験を持つ。ゼロ戦を背景にした戦闘服姿の若き今井凌雪の写真を拝見したことがあるが、もしかするとその色あせた一枚が遺影となった可能性もあったろう。生き残ったものは死んでいった友の分まで生きなければという思いも抱えていたという。そうであればこそ、一筆、一画に己の内実を収斂させていく作業に、一切の妥協を許さなかったのだと思う。作品にも文章にも子供の手本にも、どんなに時間がかかろうが締切日を過ぎようが(関係者のご苦労やいかに……)、自分が納得するまで準備をし、推敲に推敲を重ねたと聞いている。

 しかしながら、そういった入念な準備や試行錯誤の痕跡をおくびにも感じさせないところが今井凌雪の今井凌雪たる所以だ。本展のどの作品も、作家が制作したというより「出来上がってしまいました」という顔をしてすましている。独特のにじみもカスレも叩きつけるような筆致も含め、ずっと前からそこにあるかのように自然な表情で、静かに存在している。優れた作品はそういうものだと言われればそのとおり、あたりまえのことなのだが、「あたりまえに書く」ことがいかに困難なことなのか、誰もが簡単に理解できるものでもないだろうな、と評価のされ方を含め、少々残念にも感じるのだ。

 閑話休題、筆者は学生時代に今井先生にお世話になった。記憶の中では、楽しそうに授業をされているノーブルなお顔立ちがまだ若々しい。学生たちに混じっての飲み会では、それはそれは澄んだきれいな声で中国語の歌を披露された。筆者は怠け者のどうしようもない学生だったが、少しでも先生と共有する時間がもてたことを今も幸運に思ってる。実技指導では、どんな古典にも対応して書き方を示してくださった。超長鋒で面白い線をねらった学生には、普通の筆であたりまえに書けば良いのだとアドバイスされた。そのやり取りの場面が鮮やかに浮かんでくる。思い出は尽きない。

 そんなわけで、一つひとつの作品と対峙していると、見る側の覚悟を問われているようで、さらに相変わらずの自分に喝を入れられているような気になり、かなり凹んで会場を後にした次第である。

(游墨子)

論語 朋遠方より来たるあり
1992年 関西の書家百人展 44✕106
墨磨人
2001年 読売書法展 64✕163
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