書壇点描 vol.1 第40回選抜 書道 香瓔80人展

会期 2022年7月1日(金)~3日(日)
会場 東京銀座画廊・美術館7階

会場の様子
榎倉香邨90歳時のポートレート
遺作出品(榎倉香邨)

「あこがれ」の向こうへ

 書道香瓔会は、榎倉香邨(えのくらこうそん)が創設した書道会で、本年40周年を迎える。

 榎倉香邨は、大正12年生まれのかな作家。今年1月21日享年99歳で逝去。5月6日ANAクラウンプラザホテル神戸にて「榎倉香邨先生を偲ぶ会」が執り行われ、関西圏はもとより全国各地から多くの人が献花に訪れ、故人を偲んだ。

 文化勲章などの肩書より、大事なのは芸術作品そのものという立場から、かな書道の追求に邁進した。晩年まで衰えを知らぬ流麗かつ強靭な書線を駆使した作風は、高い芸術性をたたえ、誰しもが一目置く。「無冠の帝王」とは言い得て妙か。

 香邨亡き後の初の展覧会となった今展は、「あこがれ」と題し、心に響く作品を目指して取り組んだという。香邨作品も遺作展示され、会場には香邨の等身大の全身写真も展示された。ゆったりとした会場設営がなされており、かな作品特有の料紙や表具の色がぶつかって騒がしく感じられることもなく、清らかな風が流れる心地よい空間であった。

 会期中、岩永栖邨理事長による作品解説が行われ、その様子はインスタグラムで生配信(インスタライブ)された。また、搬入の様子からオープニング、会場風景なども、随時ホームページにアップされている。

■ 

 さて、筆者は香邨70代以降、幸運にも知遇を得、直接お話を伺う機会もあったので、追悼の意を込め、ここに少しだけ思い出を記しておきたい。(生前同様「榎倉先生」と書かせていただいた。)

 榎倉先生は、晩年の約20年を若山牧水へ傾倒し、傾倒し尽くした。ふるさと、酒、炎、山河、そして恋。「夜、一人で牧水の歌を読んでいると、感動して涙が出て止まらなくなるんや」という言葉を伺ったのは、榎倉先生80代の頃だったと思う。

 またあるときは、佐渡裕氏がタクトを振る音楽会に行って「なんでかわからんけど、泣けて泣けて」ともおっしゃった。どれだけ繊細な心の琴線を持っていらっしゃるんだ、とこちらは驚愕するばかり。

 ああ、こういう純粋で柔らかい心なくしては、表現者たり得ないのだと感じ入った。研ぎ澄まされた感性は、心を大きく揺さぶってしまう。揺さぶられて耐えきれずに傷つく人もいれば、享受して飲み込む強さを持つ人もいる。榎倉先生の仕事は、強靭な精神のたまものでもあるのだ。

 先生は指導やら講演会やらで日本各地におでかけだったが、ホテル泊まりの夜も部屋で古筆の研究に取り組まれていたのではないか。いつだったか、夕食をご一緒して早々にホテルにお送りしたときのこと。ホテルスタッフに「勉強に使うようなライト」を所望し、部屋に運ばせた。古筆の印刷本を持ってきているので、言葉ごと、繋がりごと、同じ文字ごと、ハサミで切って紙に貼り付ける作業をこれから夜通し行うのだという。

 牧水と違って先生はお酒を全く嗜まれない。「他にすることもないですからねえ」と笑って、急にポツリ「何時でも一人や」とつぶやき、部屋に入っていかれた。その後ろ姿から一瞬、表現者の孤独がにじみ出たように思え、胸が詰まって返す言葉もなかった。

 とはいえ、先生にはたくさんの愛弟子がいらっしゃり、慕われ、どこへ行ってもファンに囲まれ大人気であったこともよく存じている。お召しになる服も垢抜けて、ダンディな老紳士といった風情。芸術家であると同時に、優れた教育者でもあった先生は、子どもたちの教育にも熱心に取り組んだ。他の会に所属する若手にも、展覧会場で批評を請われれば、思うところを気さくに指摘しておいでだった。同じ書の世界にいるものという純粋な気持ちの表れであったろう。

 最後にお目にかかったのは、2021年3月の兵庫県立美術館での個展。コロナ禍真っ最中とはいえ、どうしても行かねばならない思いにかられてかけつけると、運良く会場内の椅子に腰掛ける先生のお姿が。「東京から来てくれたんかー」とよく通る声で出迎えてくれる。そして続く言葉は牧水への熱い思い。さらに次なる個展への構想まで。会場の作品はどれも見るものの心を浮き立たせるような瑞々しさで、98歳の超人ぶりに驚きつつ会場を後にした。何となくの予感であったが、結局、それが先生との最後の短い語らいの時間となってしまった。

  けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く 牧水

  けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴し
  うち鳴しつつあくがれて行く 牧水

 「あくがれ」は「あこがれ」の古語。あこがれとは、体はここにあっても思いを遠くにはせること、と先生は語った。先生の人生を取り巻いてきた人々はみな、これからもずっと先生への「あこがれ」を抱き続けるに違いない。ご冥福をお祈りいたします。

(游墨子)

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