沢村澄子の書
会期 2024年12月7日~11日
会場 東京墨田区・柳嶋妙見山法性寺
2024年の初冬、沢村澄子の襖の書28本を葛飾北斎ゆかりの名刹、柳嶋妙見山法性寺で8年ぶりに鑑賞した。新作も含めて部屋ごとに大胆に作品を展開していく様は、沢村の自由奔放な創作活動の代表作のひとつとも言えそうで、私もしばし、その世界観に浸った。
まず、1階の玄関口で迎えるのは阿吽の立像ならぬ二曲一双の屏風「阿吽」の大作だ。今回展の新作のひとつで、ここから圧巻の沢村ワールドが始まる。2階に上がると、和室4室それぞれの部屋を囲む襖が、法華経、いろは歌、「折伏逆化」といった書で、遠慮会釈ないスケール感で埋め尽くされている。

(部分)

(部分)

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例えば、窓のない部屋の襖に書かれているのは7万字に及ぶ法華経。濃墨で折り重なるように行を連ねてあり、じっと見入っていると山中での密教の修行に立ち会っている気がしてくる。いろは歌はデフォルメされたうえ、にじみや重なりもあり、一面に漆黒の世界が広がる。「文章が読めない」「これは絵ですか?」という鑑賞者がいるのもむべなるかなだ。
一方で、3番目の部屋にある「山川草木」は、淡墨の息長い細線で伸びやかに余韻をもたせて書き記されている。下地の白さと相まって、癒しの空間を醸し出している。漆黒の間の緊張感とは対照的で、白を見せることによって混沌の暗黒世界から穢れなき空間への舞台転換をはかったかのように思えた。
こうして、沢村の観るものを引き込むような「気」の世界は、最後4番目の外光の入る明るい部屋で「山川草木」の新作屏風(二曲一隻)を見せて現実世界に引き戻し、出口そばの襖に「慈悲」「智慧」と明瞭に記して、沢村なりのメッセージを鑑賞者に送っていたように私には思えた。

屏風


自ら、書を「書くこと」と定義し、「描かない」という立ち位置で自作と絵画を峻別してきた沢村。常々「(鑑賞者は)自由に見て、自由に感じ、自由に想像してくれればいい」と言っている。作品は発表されれば、鑑賞者のものだと私も思うし、その大前提として書く方も自由に書いているはずだ。
今回の法性寺展について、沢村自身は「自由に書いたのを喜んでくださるミホトケのココロ」、「襖を開いて、書とあなたが創造する不思議の世界へ歩を進めてください」と語っている。私からすると、仏教施設という舞台装置の中で、沢村は自然への畏敬や畏怖の念を表現したかったとみる。その延長線上には、大切な自然を愚かな行いや、諍いで破壊していく人間社会への怒りが根底にあるのではなかろうか。
さて、この沢村澄子という書家、私にはなかなか掴まえ所が難しい人物に映っている。幼少期から筆を執って臨書を重ね、高名な師匠について作品作りを続けるといった、いわば選ばれし書家ではない。
関西での高校生時代は、テニス部に所属し、書塾に通っていたわけでもないのに、書道の担当教師に授業で「紙にぶつけたい思いはないのか」と触発されて、新潟大学の書道科に進学。臨書の経験豊富な学友に比べ、主要な古典も知らなかった。それでも書道を続けた。さらに住みやすそうという理由で地縁、血縁もない岩手に居を構えた。特定の師匠はもちろんいない。
宮沢賢治の小説を怖がって遠ざけていた少女が、盛岡で否応なく宮沢文学に取り囲まれ、やむを得ず取り組んだ宮沢作品による個展で「第29回宮沢賢治賞奨励賞(2019年)」を受賞。さらに、既存の流派に属さないのに、2023年には、書家としては1992(平成4)年の中島司有以来となる芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
制作スタイルも自由だ。個展やパフォーマンスはすでに100回を超え、屋内にとどまらず、野外にも積極的に展開している。
例えば、牛乳パックを何百枚も集め、巨大な傘にして作品を書いてみせたり、ギャラリーの屋上でコンパネにいろは歌をペンキで書いたり、新聞紙を何十枚も張り合わせて震災報道の文章を書き続けるなど、「空から降ってくる」という題材を自由な発想で作品という形に仕上げてきた。
既成概念にとらわれない自由奔放な表現力と、身の回りにある素材を躊躇なく取り込む瞬発力。沢村は、この2つを兼ね備えた、私から見るといわば自由書人である。
沢村は、次にどんな新しい書の世界を見せてくれるのだろうか。楽しみでならない。
(書道ジャーナリスト・西村修一)


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