Instagram展開中! 西村修一のShodo見て歩き vol.10 慶徳紀子書展「間」

慶徳紀子書展「間」
会期 2024年7月18日〜28日
会場 東京銀座・セイコーハウスホール(旧和光ホール)
会場風景

 現代のかな表現を追究し続けている慶徳紀子が、2024年7月の酷暑の中、8回目の個展を開いた。今回の個展のテーマは「間(ま)」。平安かなの連綿や散布の慣習にとらわれない作品の「間(ま)」づくり、そして永年培ってきた美意識に基づく表装や会場構成によって、書業65年に及ぶ慶徳の奥深い書作の世界が垣間見えた気がする。

 会場奥の壁面中央には、金銀箔を使った大きな二曲屏風が鎮座する。金箔の右隻には濃墨の漢字で「以呂波……」、銀箔の左隻には朱墨のかなで「いろは……」とある。漢字もかなも肉太の線で、あえてバランスを崩したような形の字をおりまぜながら、屏風全体を見渡すと、文字間、行間、余白の絶妙な間(ま)によって、調和が生まれ、落ち着きのある佇まいを感じさせた。

「いろは」仮名/ 「いろは」漢字
屏風 96×164×2

 小品群は、和紙だけでなく、薄い杉板、金銀箔など多彩な素材を使っている。そして筆や墨も作品ごとに変えながら、近現代の言葉遣いによる俳句を選び、時に大胆な筆遣い、思い切った構図を見せ、連綿を多用する雅な和歌世界とは一線を画する慶徳ワールドが展開されている。

 小品群を区切るように、会場には要所要所に見せ場が設けられた。例えば、明恵上人の「あかあかや」の句を骨太のかなで書いた欅の柱2本を配置。また、凝集した文字群と大胆な余白との対比が鮮やかに表現された軸や屏風がいいアクセントとなり、これらが会場全体に独特の「間(ま)」をもたらしていた。

 今回展のテーマは「間(ま)」だったが、慶徳は、「若いころに学んだ琴で身についた和楽器の間(ま)が下地にあると思います。そこが他の人と異なるところかも」と、自己分析している。確かに文字間、行間、余白、作品間と、類例のない独特の演出をしている。しかし、私はその間(ま)を生み出している書線の強さ、粘りにこそ、慶徳作品の真骨頂があると思った。

【右】「藍色の海の上なり須磨の月」(正岡子規) 軸 63×49
 【中央】 「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」(明恵上人) 
欅 91×13、77×12
【左】「荒磯海の上に朝ごと立つ市のいよいよ行けばいよいよ消にけり(他1首)」(良寛)
屏風 141×37×2
小品コーナー
「近き山遠き渚やむら霞」(正岡子規) 
額 15×15
「萩は月に芒は風になる夕」(正岡子規)
額 16×16

 よく知られているように慶徳は熊谷恒子の高弟の一人だ。だが、高校時代までは書道部には属さず、書は授業で習うだけの普通の生徒だった。だが、高校の恩師に才能を見出され、書の道に進むことを勧められた。そこで日展などであこがれていた熊谷恒子が教壇に立つ大東文化大学の門をくぐる。そこから、本格的に取り組んだという書のレイトカマーだった。

 当然のことながら、大学ではすでに公募展入選など書道に本格的に取り組んでいる学友ばかり。慶徳は「私は落ちこぼれ。でも、やる以上は十年は続けてみよう」と思ったという。あこがれの熊谷に師事することができ、さらに松井如流に漢字を学んだことが、その後の人生を変えていく。

 熊谷のもとでは、いろはから始め、寸松庵色紙を中心に、不慣れな懸腕で遅れを取り戻そうとひたすら書き続けた。松井教室では、漢字の猛者たちの末席で墨磨りから始め、基本となる高貞碑や書譜を学んだ。このころ、慶徳の書の特徴のひとつである、四角っぽい字形の素地ができたのではないか。

 卒業後も書を続け、25歳で日展に入選した。あこがれていた受賞で「書は楽しい。紙や文学の世界は奥深い。一生続けよう」と気持ちが定まったという。結婚後も、家事や育児、社中の仕事など目が回るほど忙しかったと振り返るが、幸いにも家庭環境に恵まれ、筆を置くことなく乗り切ることができた。

 そんな慶徳に熊谷は、早くから宿題を出していた。曰く「慶徳紀子の書を書きなさい」。そして「個展を開きなさい」と。寸松庵色紙を35歳にしてようやくつかめたという慶徳にとって、重い宿題だった。しかし、所属する日本書道美術院や毎日書道展で相応の立場となったのを機に、44歳で初個展を開いた。師が旅立つ前年のことだった。

「見わたせば雲井はるかに雪しろし富士のたかねの曙の空(他1首)」(源実朝)
額 152×55
「花鳥の春におくるるなぐさめにまづ待ちさそふ山時鳥(他4首)」(風雅和歌集)
額 132×38

 師を失った慶徳は、それからも教えに従い、個展を開き続けた。その都度、自らの到達点を確かめるように、実験的、挑戦的な書作を披露する。日本の自然や美しい四季をモチーフに、最低限の線でシンプルに書くことを心掛けた。それを「引き算の書、古典文学に令和の服を着せた」と評す専門家がいる一方、かな作品らしい雅が見られないとする向きもあった。

 かつて美術評論家の田宮文平は「慶徳の近年の仕事は『かな』なのか、『近代詩文書』なのか。その間を浮遊して刺激的である」と評したが、今回の個展はまさにそれを眼前に突きつける展覧会ではあった。それでいいのではないか。現代に生きる書家の、現代の書なのだから。

 今年2月、書の後継者となるはずの子息を突然失った悲しみの中で、気持ちを奮い立たせて今回展の創作に取り組んだ慶徳。「私は枯れるということはできない、大きく構えて、慶徳の書の完成を目指す」と語った。その道の行く末を見守りたい。

(書道ジャーナリスト・西村修一)

慶徳紀子(けいとく・のりこ)
1941年 東京生まれ
1963年 大東文化大学卒業
1985年 第1回個展開催(鳩居堂画廊)
2007年 毎日書道顕彰(芸術部門)
毎日書道会参事、日本書道美術院常任顧問、朱香会主宰

\ Instagram展開中!/
西村修一のShodo見て歩き

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次