雲飛龍翔付鷄鳴展
会期 2026年9月1日〜6日
会場 東京・セントラルミュージアム銀座

篆刻家、稲村龍谷が、亡き父の「稲村雲洞没後十年回顧展」、夫人の「卯中惠美子篆刻展」とあわせて、自身の「稲村龍谷篆刻展」という家族三人展を開いた。題して「雲飛龍翔付鷄鳴展」。三者三様の充実した展覧会だったが、実は準備中の2026年2月、惠美子夫人が急逝するという辛く悲しい出来事に見舞われている。それぞれの作品群が魅力的なだけに、事情を知る者にとっては、なおのこと喪失感や寂寥感が漂う三人展となってしまった。
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気持ちを整え、まず、壁面の大部を占めた雲洞展から。雲洞は書の盛んな福井出身。戦後まもなく上田桑鳩、宇野雪村の卓越した書の理論と峻烈な実践の姿に刮目させられた。教職としての教育書道の鎧を脱ぎ捨て、雪村流の徹底した古典研究と創作活動を積み重ねる書家の道を選んだ。漢字各体の古典的表現はもちろんだが、戦後のアンフォルメル運動にもリンクした、いわゆる前衛書の追究にも積極的に取り組み、のちに奎星会の代表的作家の一人となった。
結果として、その書風は一言では言い表せないと私は思う。古典と前衛、極大と極小、文字性の有無、瞬発と継続。雲洞にあてられた「造形言語」という言葉でくくられるのかもしれないが、表出された作品は千変万化の姿を見せる。龍谷はそんな雲洞らしさを感じさせる展示構成にしていた。
例えば、中央壁面の「黄庭経」の超大作には、肉太の凝集した文字列による圧倒的な存在感と、修行僧の読経のような、俄かには生み出せない訴求力が空間を支配している。一方で「龍」や「目聴」に目を移すと、文字性の有無を越えた美しいフォルムと、作品の底流に流れる精神性が前面に浮き彫りにされている気がする。さらには戦時中、福井師範学校時に、永平寺の参禅合宿で学んだ般若心経を連日、夜明け前に認めるというお勤めを続けてもいた。名刺サイズの極小の作品まである。そのどれもこれもが、書表現を突き詰めるという雲洞の真骨頂ではないだろうか。

「黄庭経」
180×1140cm

「龍」
240×180cm

「目聴」
190×486cm
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三人の中で一人遺された龍谷は、ここ20年ほど主な題材としてきた荘子を一挙に百顆彫り上げた。会場中央に整然と並べられた様は、壮観という言葉しか思い浮かばなかった。これらの印は、雲洞が中国などで生涯かけて収集した小ぶりの古印材を使ったという。「無用の用」「道人不聞」など荘子の名言が多様な字体で朱文、白文に刻されていた。「荘子の言葉は実に魅力的。これからも刻り続けたい」。荘子は龍谷のライフワークとなったようだ。

「荘子百顆」
壁面にも龍谷らしい作品が並ぶ。朱文でも白文でも、屹立した刻り跡によって際立つ線描と、辺縁を自在に削り取ることによる空間構成も相まって、龍谷独特の朱白の世界が生み出されている。「龍谷」の号を名付けた北川博邦はかつて「篆刻はよほど彼に向いていたようだ。彼は独特の良い感性を持っている。それゆえ、師風そのままではない独自の風格を表している」と評した。
もちろん、龍谷の師とは關正人である。では何故、書家である雲洞ではなく、篆刻家の關についたのか? 実は、龍谷は大学に至るまで本格的に書には触れていなかった。20歳を過ぎても、大好きな山登りとアルバイトで、半ば自由人のような生活を続けていた。そんなあるとき、ふと雲洞が同郷の關を自宅に招き、龍谷に引き合わせたうえで「關さんのもとで篆刻でも習ったらどうだ」と切り出した。
關の茫洋とした柔らかな人柄、篆刻制作の精神集中ぶり、社中の温かい空気感。おそらくそうした要素が絡まりあって、止むことなく中国の歴史や文字の変遷を学び続け、篆刻の技を磨くという道を選んでいた。今後は後進の育成にも目を配らねばならない立場だが、荘子をはじめ「しばらくは自分の世界も大事にしたい」と、創作意欲は衰えを見せない。

「餐霞人」
余談だが、雲洞の作品には「龍」、龍谷自身の作品には「般若心経」がそっと出陳されていた。このあたり、筆者には龍谷の家族愛の深さが偲ばれる会場風景だった。

「般若心経印譜」



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家族愛といえば、もう一人。カルチャースクールで学び始めた卯中は、龍谷に遅れること9年、1985(昭和60)年に關正人門に加わり、2010(平成22)年には龍谷と「社中婚」している。当初は、白抜き文字を極力大きくとって朱の部分を少なくする、いわゆる満白印をよくした。率直で快活な人柄をストレートに表出して書壇の注目を集めてきた。さらに近年は、長方形の一行印を金文で記す新しい表現にも取り組み、刻風を大きく広げていくところだった。今回展には新作76顆を一挙に出品する予定だったが、残念ながら道半ばで倒れてしまった。出品作には得意の満白印をはじめ。朱文で縦一行のシャープな金文印、さらには篆刻制作の舞台裏にあたる貴重な印稿も披露されていた。卯中のこれからを楽しみにしていたものには、なんとも残念な展覧会になってしまった。

「鐵石心腸」

「胸中貯活春」

印稿
(書道ジャーナリスト 西村修一)
稲村雲洞(いなむら・うんどう)
1924年 福井県生まれ
1949年 宇野雪村に師事
1994年 毎日芸術賞受賞
1996年 奎星会会長
2016年 逝去
稲村龍谷(いなむら・りゅうこく)
1951年 福井県生まれ
1976年 關正人に師事
2008年 毎日書道展文部科学大臣賞受賞
2009年、2016年 日展特選受賞
2023年 日展審査員
現 在 日展会員、毎日書道会理事、創玄書道会理事、扶桑印社代表
卯中惠美子(うなか・えみこ)
1957年 神奈川県生まれ
1985年 關正人に師事
2008年 毎日書道展会員賞受賞
2026年 逝去
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