2022 冬の展覧会 ピックアップ 七回忌追善 横山淳一展

七回忌追善 横山淳一展
会期 2022年12月13日~18日
会場 東京 鳩居堂

「拓書八首」
41×53cm
おそらく日中書道史上初の自詠・自書・自刻・自拓作品

現代の日本語で、自詠自書の世界を追求

「横山淳一をご存じですか」──暮れに刊行された『横山淳一 漢字とかなの調べ』(芸術新聞社刊)は、この1行からはじまっている。そう、きっと、大多数の人が横山淳一という書人の存在を、またその力量を知らずにいたにちがいない。急逝からまる6年。「七回忌追善 横山淳一展」が2022年12月13~18日、東京 鳩居堂で開催された。

 横山淳一のキーワードは、「現代の国語生活に即した書」。そして「自詠自書」。
 書が文字を素材とする以上、同時代が読めて、理解できるものでなくてはならない。そして、自分の言葉を書いて初めて書は書として自立する。このきわめて当然なことを、横山淳一は生涯、愚直に追い求めた。

 現代の日本語を書く、つまり現代の日本人が誰でも読んで理解できる漢字とひらがな、カタカナを使って、平易に、かつそれが鑑賞に堪えうるレベルで表現すること。そのことを横山淳一は、おもに自詠の短歌を素材として実践し、独自の世界を築いた。横山淳一の名が知られていなかったのは、団体に所属することなく、公募展にも参加することがなかったためだろう。しかし、その自由な身の置き方から、漢字、かな、篆刻、漢字かな交じりの書(近代詩文書・調和体)などといった公募展運営上の枠組みに規制されることなく、自らの信じる書の追求が実現した。漢字もかなも、中国も日本も、全ての書の文化を吞み尽くして、自分だけにしかできない書を創造している点が注目された。

 知名度もなく、社中も持たなかった横山淳一だったが、遺墨展の呼びかけに全国から協賛金が集まった。知友は言うに及ばず、中にはかつて通信で添削を受けただけの地方在住者、また「母が生きていたらきっとお祝いをしたはずですから」と気持ちを寄せてきた遺族もいたという。つまり、横山淳一があまり知られていなかったというのは、その方面の情報がいかに日頃、中央書壇の情報に偏っているかの表れでもあるだろう。

「楊守敬の来日を近代書道の黎明とする定説に、横山先生は大きな疑問を抱いていられました。それは近代書壇の自己正当化にすぎず、前時代までの自然に発達してきた書道を否定し、古典のものまねで満足する書壇ができあがった、とよく口にしていました」とは、大学での教え子の一人、財前謙さん。「自分の言葉を書くなら、どう書こうが自由。他人の言葉を書くから、どう書くかばかりに重心がいき、ものまねがはじまる」とも生前語っていたという。

 なるほど、と思う。会場にあふれる、この余力。ルノワールやルオーの展覧会を見ているかのように、雑多な印象がなく、清浄な空気感に包まれていた。18歳で高知県から東京学芸大学書道科に入学し、以来 73の最期まで、書のことしか考えずに生きてきた書人の人生そのものが、今回の会場にみなぎる空気感となって表れたものと思われた。そして、歳を追うごとに平明になっていった横山淳一という書人の魂の素直さ、純粋があらためて感じられた。
 さてさて、これに続く逸材はいつ登場するだろうか ?

 40歳前後、一休宗純に憧れていたころの、極めてシャープな線質の時代から「書は芸術で……」1作を。
 その後、より現代人が読みやすい書の深化をめざした50歳前後の作例から「横山淳一自選短冊冊」3冊を。
 そして没年73歳で書いた「七十三」の、計3点を最後に画像で紹介する。

(文/中島 健)

「書は芸術で……」
24.5×150cm
「横山淳一自選短冊冊」より
縦40cm(短冊 各36×6cm)
「七十三」
135×35cm

写真撮影:川本聖哉
画像提供:株式会社芸術新聞社

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