『書史千字文』を読む 文/伊藤文生 〈002〉 嶽瀆闢地、星辰麗天。(その1)

 中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。
 4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。
 連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。
『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

〈002〉
嶽瀆闢地、星辰麗天。
地には山や川ができ、天には星がかがやいた。

 前回の〈001〉「太極是先、兩儀已全」の「兩儀(=両儀)」つまり天地について、そのありさまを具体的に説明しています。
 訓読すると、「ガクトク ひらセイシン テンく」でしょう。
 まず、漢和辞典を引いてみると、だいたい、以下のように説明されています。
「嶽」は、高く大きな山。
「瀆」は、大きな川。
「闢」は、ひらく。
「地」は、大地。
「星」は、ほし。
「辰」は、ほし。
「麗」は、つく。
「天」は、そら。
 以上をまとめると、「嶽瀆闢地、星辰麗天」は「大きな山や川が大地をひらき、星たちが天空についた」となります。
 字形について確認すると、「嶽」は旧字体で、常用漢字では「岳」を使うことになっています。
「嶽」が旧字体なら、「岳」は新字体か、というと、理屈としては、そうも言える、というところでしょうか。
 新字体と旧字体とは何かというのは、丁寧に説明しようとすると、なかなか厄介です。
「嶽」はテンショショウテンともいう)に由来し、「岳」は古文(古字)による字形なので、「岳」は「嶽」の旧字体である、とも言えるでしょう。
 現在、一般には常用漢字ということで「岳」を常用することになっていて、子どもの名前としても「岳」の字は使えます。ところが、「嶽」は使えません(ただし、より厳密には、日本で生まれた外国人の子どもの出生届には、「岳」とともに「嶽」も使えます)。
「嶽」は、本名には使えませんが、雅号やペンネームなどには自由に使えます。もちろん、書道作品などでは「岳」と同じように、気兼ねすることなく「嶽」も使えます(念のため)。
 ついでに、「嶽」と「岳」との意味の違いを確認しておくと、妻の父母を指すことば「ガク」「ガク」の場合には、「嶽」は使いません。その理由には諸説あるようです。常識としてそうなっている、と心得ておけばよいようです。

 つぎに、「瀆」は「涜」とも書き、「ボウトク」という熟語で使われることが多い字です。動詞としては「けがす」「あなどる」「むさぼる」と訓読されます。どうしてそういう意味になるのか、ちょっと調べてみると、「トク」に通じるから、ということのようです。
「黷」は、「けがす」「けがれる」という意味です。「黷」と書くのは面倒なので「瀆」あるいは「涜」と書くようになった。という説明で「説明責任を果たした」ことになるでしょうか。
 一字一字について考えていくと、迷路に入り込みそうです。本題にもどりましょう。
「嶽瀆」という熟語として見ると、五嶽と四瀆のこと、と迷い無く判明します。
 ただし、それぞれがどこにどのようにあるのか捜索すると遭難しそうです。
 五嶽とは、タイ山・山・コウ山・コウ山・スウ山という五つの高山。
 四瀆とは、長江・黄河・ワイ水・セイ水という四つの大河。
 もっとも有名な山と川のこと、名山大川の総称として「嶽瀆」という。
 ということで納得しておきましょう。
 なぜ、山は五つで、川は四つが選ばれたのか。暇つぶしに調べてみると面白いかもしれません。いずれも古来有名な山川であり、「泰山」は「岱山」とも書いたり、いろいろな伝説もあり、異説があることは言うまでもありません。
 ということで、「両儀」の「地」についてはおしまい。
 以下は「天」について。

「天」については「星辰麗天」=「星たちが天空についた」としておきました。
「星」は小学2年生で学習する漢字です。となりに「月」を並べた「セイ」はロマンチックなイメージの漢字として話題になりますが、残念なことに「腥」の「月」は「肉」の変形で、「腥」の意味は「なまぐさい」。また、「朝」の「月」は「舟」の変形ということで、「朝」も「月」とは無関係です。
つき」偏の字を探すと、「(=三日月)」や「モウ」「ロウ」があり、「サク」や「」の「月」も「つき」です。
 ついでに調べると、いろいろなことが学べますが、脱線しそうなので本題にもどります。
「嶽瀆」と同様の熟語として、「星」と並ぶものとしては「月」がありそうなのに、「星月」と言わないのはなぜか、と思って調べてみると、「星月」は『ナンホンケイ訓などに用例が見つかります。「星月麗天」とせずに「星辰麗天」としたのはなぜでしょう。
 この『書史千字文』の中に「月」の字は登場しませんから、「星月麗天」としても不都合は無いはずです。それなのに、「星月麗天」ではなく「星辰麗天」としたのは、「星月」は熟語として存在するとはいえ、「星辰」に比べると一般的ではないから、ということでしょう。
 さて、「星辰」の「辰」は、下手に説明すると混乱しそうなので、簡単に、ここでは「星」と同じ意味、ということにしておきましょう。
「麗天」は説明が必要です。
「麗」は「レイ」の「麗」で、訓読では「うるわしい」あるいは「うららか」です。「天」は「そら」なので、「麗天」は「うるわしい空」「うららかな天空」という意味になりそうです。ところが、そうはなりません。なぜか?
 辞典を引いてみると、「麗天」の「麗」は、つく、付着するの意で、「空にかかること。転じて、太陽の異称」とあります。天空に付着するものの代表は太陽である、ということでしょう。
「麗天」は『エキキョウ』に由来する語です。前回の「太極」「両儀」と同じく、今回の「星辰麗天」も『易経』をふまえています。『易経』(タン伝)に「日月麗乎天(ジツゲツテンく)」とあります。太陽や月は天にくっついている。
 現代の科学的な知識としては、太陽や月は宇宙空間に浮かんでいるのであって、天にくっついているわけではありません。万有引力の存在など思いもよらなかった昔の人は、太陽や月や星は天に付着しているものだと自然に考えたのでしょう。
 ただ、万有引力とは「宇宙に存在するすべての物が互いに引き合う力である」と説明されても、どうして物が互いに引き合うのかは謎です。
 ここで大事な謎として、原文の「麗」には「カゝヤク(かがやく)」という振り仮名が付けられています。
 今回は脱線が多く、やや長文になってしまったので、また、あらためて考えてみることにしましょう。

『書史千字文』版本より
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