『書史千字文』を読む 文/伊藤文生 〈000〉 はしがき

 伊藤文生氏(書文化研究会)による連載「『書史千字文』を読む」がスタートします。
 まずは「はしがき」として、『書史千字文』という書物のことなど。
『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

伊藤文生氏(書文化研究会)による連載「『書史千字文』を読む」がスタートします。まずは「はしがき」として、『書史千字文』という書物のことなど。『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

『書史千字文』版本より

 江戸時代に、陸島立誠という人物が『書史千字文』という書物を出版しました。
「書史」は、書道史、書道の歴史。それを千字文の形にまとめたものです。

「兎も角、読んでみましょう」ということで、

〈001〉
太極是先、兩儀已全。
太極をもととして、天地が生まれた。

から

〈126〉
爛粲厥質、美價無彊。
ひかりかがやく天性の、うるわしい価値は無限である。

まで、ひととおりご紹介してみました。

 年が改まり、いよいよ、4字1句からなる原文を2句ずつ改めて読み解いていきます。

 ところで、陸島立誠とは、いかなる人物でしょうか。じつは、よくわかりません。
「陸島」さんは「りくしま」さんか「くがしま」さんか「おかじま」さんか。
 3説が鼎立しています。ほかにも「りくじま」という可能性もあります。
「立誠」も「たつのぶ」と「りっせい」との2説があるようです。
 実際にどのように呼ばれていたかはさておいて、ここでは「りくしまりっせい」さんということにしておきます。
 あざなは「君辞」でこれはたぶん「くんじ」でよいのでしょう。
 ごうは「城南」で「せいなん」とも読めますが、「じょうなん」でしょうね。

 漢字の読み方は、いちおう常識にしたがうように努めます。
 音読みはカタカナ、訓読みはひらがなで表記することにします。
 そうすると、「陸島立誠」は「リクしまリッセイ」です。
 ちょっと違和感もあるでしょうが、ご諒承ください。

 ついでに、漢字の字体について。
 原文は旧字体、書き下し文その他は新字体とします。
 あまりこだわりすぎず、だいたいの方針として、原則的にそうするということです。
 見慣れない字形については、気づいた範囲でそのつど確認します。

 さて、陸島立誠さんは今からざっと250年ほど昔の江戸時代の人です。
 生卒年は不明です。本書『書史千字文』に自らしるした「附言」に「幼にして書を学び、弱冠にして成らず」とあり、陸島さんは「幼」=10歳から書を学び始めて、「弱」=20歳まで、10年間学習したけれども「成」らなかった。書にかんして完成・達成・成就しなかった。
 自ら言うことなので、必ずしも事実とは限らず、たぶん謙遜しているのでしょう。書家には向いていないと自覚して、書道史を書くことにしました。それもセンモンのスタイルで。

 千字文は、千字のブン。「文」といってもインブンで、1句が4字のゴンです。
 千字文は総字数が千字の詩です。しかも、その千字がすべて異なるようにする。
 千種類の漢字を使って、ちょうど千字の詩を作る、という発想自体は単純なので、多くの人が試みています。
 いろいろな千字文があるなかで、一般に千字文の作者というと、シュウコウ(470?~521)とされています。以下、人名の敬称は省略します。

 その千字文にならって、陸島立誠は『書史千字文』を作りました。
 刊記に「明和四年丁亥秋九月」とあるので、出版されたのは1767年です。
 リュウソウ(1714~1792)の序文に「クンよはひいまソウならず」とあることから、時に陸島立誠は30歳未満。生年は1740年から1745年ころと推測できます。
 漢文の書き下しでは、音読みは現代仮名づかいでカタカナ、訓読みは歴史的仮名づかいでひらがなとします。

 陸島立誠に関する資料は、この『書史千字文』のみのようです。陸島立誠および『書史千字文』について、また、以上および今後の記載について、お気づきの点がございましたら、お知らせください。
 メールフォームは〈https://u-boku.net/contact/〉です。よろしくお願い申し上げます。

連載ページは、こちらからどうぞ。

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