『書史千字文』を読む 文/伊藤文生 〈002〉 嶽瀆闢地、星辰麗天。(その2)

 中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。
 4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。
 連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。
『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

〈002〉
嶽瀆闢地、星辰麗天。
地には山や川ができ、天には星がかがやいた。

ガクトク らき、セイシン テンく」と訓読しました。

 ところが原文、つまり明和4年(1767)に刊行されたハンポンを見ると、「麗」には「カゝヤク(=かがやく)」という振り仮名が付けられています。
「麗」は「つく」ではなく「かがやく」とむらしい。

原文
(版本)

 この振り仮名は『書史千字文』の撰者である陸島立誠がつけたものとしてよいのでしょう。あらためて確認すると、「地」の右下には小さく「ニ」と送り仮名があります。「地を」ではなく「地に」と読むように指定されています。「地を闢く」と「地に闢く」とはどう違い、どちらがよいか。文法的には、「を」も「に」もともに格助詞で、……と諸説あるようです。
 口語訳は「地には……」としました。この口語訳に合う訓読としては「地に闢く」のほうがよさそうです。つまり、対句という形式を重んずるならば、「地に闢き、天に麗く」のほうがよい。しかし、現代日本語としては「地に闢き」よりは「地を闢き」のほうが自然に通じるような気がします。いかがでしょうか。ご意見・ご感想・ご質問を歓迎いたします。ご指摘のほど、よろしくお願い申し上げます。

 さて、「闢」に送り仮名が無いのは、必要が無い(と判断された)からでしょう。「闢」の訓としては「ひらく」と「しりぞく」とがあり、(もちろんそのほかの読み方も可能ですが)ここは「しりぞく」ではなく「ひらく」でよいでしょう。「カイビャク」という熟語があり、「開」も「闢」も日本語では「ひらく」。その意味の違いについての穿鑿やら詮索は、ここでは控えます。

 原文の上欄を見ると、小さな字で「自太極至若盈典墳述開闢以来及殷代」というトウチュウトウショかしらきともいう)があり、「開闢」の2字が見えます。
タイキョクり「若盈典墳(しくはテンプンつ)」に至るまで、開闢以来及びインダイを述ぶ。
「太極」は『書史千字文』の冒頭の2字、「若盈典墳」は第26句です。『書史千字文』は、なるほど書の歴史を千字の文によって述べたもので、開闢から始まり、「若盈典墳」までの26句(4字×26=)104字によって、殷代までのことが述べられています。さらに続く頭注には「」「ラクショ」「ホウ」「ハッ」「ショケイ」とあり、小見出しあるいはキーワードと言える注記が並んでいます。
 ついでに、原文の中央部(ハンシン)には、黒地に白文字で「書史千文」とあります。1行目(ナイダイシュダイともいう)には「書史千字文」とあるのに、版心には「書史千文」として「字」の1字が脱けているのは何故か。これは間違えたわけではなく、「書史千文」は『書史千字文』の略称です。このように表記することは普通のことでした。ちなみに『センモン』は「センブン」と略称されます。『千字文』は「センジモン」で、「千文」は「センブン」あるいは「センモン」。だいたいそのように読まれている(らしい)ということです。
 もう一つついでに原文の2行目を見ると「陸立誠君辭撰(リクリッセイクンセン)」とあり、「陸島」は「陸」1字に省略されています。「立誠」が名で、「君辞」はあざなであることはすでに〈000〉はしがき で触れました。

 本題にもどりましょう。「星辰麗天」を「星辰 天にかがやく」と訓むことについて。
 まず、「麗」が登場する古典として、(すでに一部を引用した)『エキキョウ』(タンデン)に「離、麗也。日月麗乎天、百穀草木麗乎土」とあります。
「離は、麗なり。ジツゲツテンき、ヒャッコクソウモクく(=「離」とは、くという意味である。太陽や月は天にいており、いろいろな穀物や草や樹木は土にいている)」のように解釈されています。
「離」は一般には「はなれる」という意味の漢字として理解されているでしょう。「離」の常用漢字としての音は「リ」、訓は「はなす・はなれる」です。同様に「麗」の音は「レイ」で訓は「うるわしい」。
「離は、麗なり」とはどういう意味なのか。漢和辞典を参照してみると、「離」は「レイ」とも読み、「麗」は「リ」とも読むことが分かります。そして、「離」は「レイ」と読むと「つく(=付着する)」という意味になる。「つく」と「はなれる」とは意味が反対です。しかし、少し考えなおしてみると、「つく」というのは、はなれていた物が「つく」のであり、「はなれる」というのは、くっついていた物が「はなれる」こと。「つく」と「はなれる」とは反対のようでありながら、関連して、つながっている。
 だから、「離」は「はなれる」意とともに「つく」という意にもなる。同様の例として、「乱」は「みだれる」意とともに「おさめる」意にもなる。「ランシン」は、国を混乱させる悪臣をいうとともに、国をきちんと治める賢臣をいう場合も確かにあります。善意をもってなんとか治めようといろいろと努力しているうちに混乱に落ち入ってしまう、ということも現実には起こるのでしょう。

 さて、いよいよ本題に、と思ったところで、今回は「ついでに」が重なり、すでに予定の字数に達しました。
 ということで、本題はまた次回とします。

『書史千字文』版本より
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