呉昌碩「臨石鼓文 行書五律 双幅」
中華民国3年(1914)
今回紹介する作品は、中国最後の文人(詩・書・画・篆刻の全てに精通=四絶)と称される呉昌碩の手になる立幅 2本です。共に “板綾〈バンリン〉” と言われる極上の絹本に書されており、1本は篆書の石鼓文、もう1本は上海にあった日本の高級料亭「六三園」で酒を飲み自ら詠んだ詩1首を米芾の筆致で模した作。
それぞれの款記に「甲寅」の干支が見えることから、1914年(中華民国3年)彼が71歳の時に書されたことがわかります。またこの年には初代社長となった西泠印社の社記を撰書し、先に触れた「六三園」の翦淞楼においては白石六三郎(鹿叟)氏が発起人となり、個展を9月に開催してることより、この2点もその関連で制作された可能性が高いのではないかと思われます。
実は、この立幅 2点は松丸東魚旧蔵の品で、2幅が同一の桐箱に入っており、箱書は東魚翁自らが題しています。残念なことはその来歴に関して表箱の裏には何も記述がないのため憶測でしかないのですが、御子息松丸道雄氏の言葉を拝借させていただくと、東魚翁蔵品は東京や関西の有名な美術商から購入したもので、東魚翁刻印の依頼を受けて持ち込まれていたことなどから、多くの知人を経て入手されていたことが判断でき、少なからず翰墨の縁を感じた次第です。
終わりに、「巨星・呉昌碩」の存在は誰しもが認めるところであり、その膨大な書・画・篆刻の作品のみならず主だった交遊者名をみるだけでも、その計りしれない大きさを改めて知ることが出来ました。
資料提供/光和書房
解説/橋本玉塵(書家・法政大学非常勤講師)