今月の名品 vol.3  貫名菘翁「杜甫詩巻」

貫名菘翁「杜甫詩巻」上巻
冒頭部分
貫名菘翁「杜甫詩巻」上巻
冒頭部分

貫名菘翁「杜甫詩巻」
江戸・安政4年(1857)

 この書跡は、幕末の三筆の一人である貫名菘翁(1778〜1863)の手になるもので、巻子本(上・下)2巻に仕立てられている。下巻本末の款記「丁已之歳蕤賓上浣挑燈録 菘翁」より、80歳の老境を迎えた彼が、渾身の力を込め書したことがその筆致から感じられる。杜甫の詩を上・下巻に3首ずつ各行3字のほぼ等間隔で約40行、端整かつ丹念に書き進められており、一見するにその人柄さえも想像できるものである。
 さて、彼は阿波徳島藩の旧家に生まれた(安永7年)。名は直知・直友、苞、通称は政三郎であったが、省吾・泰次郎と改めた。字は子善・君茂を用い、号は海屋(海屋生)、海客、海叟、菘翁、摘菘翁、他にも海仙、林屋、鴨干漁夫、摘菘人などを使用している。幼くして書は西宣行、南画を叔父で藩御用絵師矢野典博に学び、儒学については、木村蘭皐、高橋赤水より授けられた。その後、17歳頃高野山に入山し母の末弟である霊瑞について学問の研鑽に努めた。この時、真言宗高野山開祖・弘法大師空海の真跡をみて書に目覚める。高野山を下り、懐徳堂(大阪)から京都へと移り儒者として身を立てることになるが、儒学者としてあくなき研究心の強かった彼は、50歳頃から様々な文人達(浦上春琴、小田海僊、中林竹洞、広瀬淡窓、梁川星巌、山本梅逸、頼山陽など)との交流が深まり、また自らの私塾「須静堂」からは松田雪柯、日根対山、谷口靄山などの人物を輩出するに至った。そして、王羲之を祖とする晋・唐の書、並びに米元章(宋)、趙子昂(元)、文徴明(明)、董其昌(明)などといった「唐様」の書風を継承した巻菱湖(1777〜1843)、市河米庵(1779〜1858)らとともに幕末の三筆と称されたのである。

貫名菘翁「杜甫詩巻」下巻
冒頭部分

資料提供/光和書房
解説/橋本玉塵(書家・法政大学非常勤講師)

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