定武本蘭亭序(ていぶぼんらんていじょ)
353年(東晋・永和9年)
游似旧蔵
この種の様式に書かれた蘭亭序を刻した石が、宋代に定武(今の河北省定県)より発見されたことに因んで名づけられた。欧陽詢が臨した書風に近いとされる。『定武本蘭亭序』の最も優れたものは台北故宮博物院と東京国立博物院に各一本が蔵される。前者はほぼ完全であり、後者は火に遭い僅かに一部分が存するのみである。次いで『呉炳旧蔵定武本』が著名であるが、拓調が不自然であり、字画の不鮮明な部分があり、定武本の善本とするには疑問を感じる。
ここに示した定武本は宋拓本として伝来してきた。定武系独特の穏やかで落ち着いた筆勢を示す。『神龍本』や『張金界奴本』のもつ抑揚の変化は、それほど無いが静かさの中に伸びやかな趣を秘めた書風である。明代の装潢を残し、歴代にわたる長い流伝の経過を示している。一部少し虫損があるが、拓墨拓調とも旧く日本伝来定武本の優品の一に数えることができようか。
内簽は何子貞の筆であり、巻頭には、清初の大収蔵家・安岐(字は儀周、麓邨と号す)の旧簽が付され、その左に明の晋府の方印をはじめ、安岐、翁覃溪、梁章鉅などの鑑蔵印十数顆が美しく鈐されている。帖末には、「右従鬻碑者得之題曰定武不知何處本也」(この帖は碑を商う者から入手した。題して「定武不知何処本」と言う)とある。この手になる題記は、南宋の游丞相(游似、字は景仁)の所蔵とされ、後に明の晋府の所蔵に帰した蘭亭序にはよく見られる。
この帖は清朝に入り、安岐、張若靄、梁章鉅、梁啓超、陶北溟等名家の手を経て明治末から昭和初期に日本に将来されたと考えられる。
(木雞室蔵併記)