今月の名品 vol.39 啓功 宇野雪村宛書簡

啓功 宇野雪村宛書簡
昭和62年(1987)

書簡1枚目
書簡2枚目

中国と日本で開催された「啓功 宇野雪村 巨匠書法展」のことども

文/宇野公容

 1987年3月31日~4月3日の4日間、北京・中国美術館を会場に「啓功 宇野雪村 巨匠書法展」が開催された。楚図南氏(中国人民代表大会常務委員会副委員長)も駆けつけ、開会式や祝賀行事が盛大に行われた。
 そもそも啓功先生と雪村の縁は、瑠璃廠・慶雲堂での出会いから始まる。そこで、2人は生まれが1912年同士という共通点から意気投合したようだ。1979年10月に雪村は啓功先生、范曾、劉炳森氏らとの書会を行っている。これらの縁が、8年後の「啓功 宇野雪村 巨匠書法展」につながることになる。そして同年9月1日~6日、この2人展が東京の三越百貨店で「宇野雪村 啓功 巨匠書道展」として開催された。この時は、残念ながら啓功先生のご出席が叶わなかった。ここに掲げる啓功先生の書簡は、その欠席の理由を縷々述べられたものである。
 その後、1995年に雪村旧蔵拓本14点を故宮博物院に寄贈し、その中の1点「松桂堂帖」に啓功先生が後跋を書き、1級文物に指定された。私も1996年に上海でお目にかかったり、2005年には先生の病床にお見舞いに上がったりすることができた。残念ながらその1と月後に先生の訃報を聞くことになる。

書簡と封筒

宇野雪村先生へ

 このたびの合同書展に参加させていただくことができ、大変光栄に存じます。「巨匠」という称号は、まさに先生の素晴らしい筆致にふさわしいものです。一方、私の書は拙く素朴で頼りなく、先生の過誉に対して本当に申し訳なく思っております。今回の東京での展覧会に参加させていただき、大変光栄なことながら、先生からご教示いただく機会も得られました。

 しかしながら、思いがけず一カ月ほど前、北京大学の学術シンポジウムの際に突然胸の痛みを感じることがあり、医師からは胃の病気と間違えないようにと言われましたが、実はこれは狭心症であり、速効性の硝酸グリセリンを服用したところ、すぐに緩和されました。医師は断固として遠出を控えるようにと忠告しており、私の心臓病はすでに四年近く続いているため、いつ突然発作が起きるかと心配しております。

 やむを得ず、今回は先生のご指導を仰ぐことが叶わず、一時休暇を取ることにしました。病状が少し良くなったら、必ず改めてお伺いし、このたびの盛大な会に参加できなかったことをお詫び申し上げたいと思います。

 この事情を詳しく述べさせていただきましたが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。まずは書簡にてお知らせし、先生のご健康とご家族の皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

敬具

啓功氏の揮毫の様子
啓功氏が書き上げた作品
宇野雪村氏の揮毫の様子
右から4人目啓功氏、3人目宇野雪村氏、
日本から同行した奎星会のメンバーとともに

※写真は4点とも「啓功 宇野雪村 巨匠書法展」1987年
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