今月の名品 vol.25 王一亭 柳浪飛燕図

137.2×41.3cm

王一亭 柳浪飛燕図
中華民国6年(1917)

画賛
(七言絶句)

紫燕呢喃暮靄高
依依柳浪染征袍
江邊萬縷千條恨
恣爾因風試翦刀
丁巳仲夏白龍山人寫於海雲楼

(大意)
夕霧の中で紫燕は囀り、柔らかな柳の浪が羽を染める。
水辺の万の柳に千の怨みがあるごとく、風に誘われ翼を靡かせていく。

 王一亭は、1867年浙江省呉興生まれ。名は震、字の一亭で知られる。梅花館主、海雲楼主、晩年に白龍山人と号した。1938年72歳(満70歳)で逝去。

 15歳で銀行のボーイとして働き始めると、すぐに持ち前の才覚で、銀行業のほか船舶運輪・電気等々、さまざまな分野で頭角を表した。上海製造絹糸社社長をはじめ、多くの要職を兼任して、上海を中心とした実業界に名を馳せた。
 また中華民国が建国された1912年には農商務大臣に就任するなど、革命派として政治の世界でも活躍している。仏教徒としての活動も顕著で、法名は覚器という。

 このように、多方面に才長けた王一亭はまた、画家としても優れた業績を残しているのは、周知のことであろう。花山水画、人物画、仏画に優れ、晩年は仏画を主に描いた。日本とも交流があり、そのため多くの作品が日本に残っている。
 画は呉鎮の教えを受け、のち呉昌碩と親交を深めるようになる。呉昌碩作品を模写すると、呉昌碩本人がそれと認めるほどの腕であったという。そのため、呉昌碩の代作をしていたという話もまことしやかに残されている。

 本作は、1917年(民国6年)に制作されたもの。艶やかな紫燕の姿を生き生きと前面に描き、背景には燕を引き立てるように淡く芽吹いた柳枝を描いている。画賛後半は、柳枝をひょいと避けながら詩を書き連ねており、何にもとらわれない自在の境地を示しているかのようである。これと同系統の燕の作が台北故宮博物院にも蔵されている。

◉資料提供/光和書房
◉解説/呉 忠銘

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