遼寧省博物館蔵金石文字精萃
楊仁愷・劉寧 主編
1999年 限定50部
中国東北の遼寧省博物館所蔵の金石文字の優れた作品を収録した二冊一帙の大型本である。
この著作の大きな特徴は、金石文字を写真でなく、原物から直接に丁寧に取拓した原拓集であるということである。最古の文字とされる甲骨文字の小品19件、殷周秦漢金文47件、戦国から漢代の封泥、瓦当、塼文等陶文が30件、漢時代の残石文字が13件、小品であるが全体で100件余りの原拓本を収録し、青銅器等30数件は、器影の写真をコロタイプ印刷で載せる。更に簡単な解説、釈文を付す。
中国の博物館所蔵の金石の拓片が売り出されているのは、これまで目にしたことがあるが、このような解説付きで、大型本にまとめられたものは、大変稀である。この本の巻頭の扉に書かれているように、遼寧省博物館の50周年記念の一端として当時の館長・楊仁愷等の主編として編纂され、限定50部、1999年の制作である。現代では、この種の拓本集の制作は、恐らく不可能であろう。
この中から私的な見解であるが、特に珍しい金石文字を幾つか紹介する。
① 祖日乙戈
殷時代の「戈」と称される刀状の儀礼用の青銅器である。刃の部分に重厚な趣の文字が刻されている。殷代金文として非常に珍しい。この本には同系の「戈」が更に2件収録されている。共に民国期の著名な金石学者・羅振玉の旧蔵である。
② 秦権銅詔版
秦時代の重さや量を計測する為に使用される錘や升などに、皇帝の詔文を直接刻したり、また銅板などに刻して貼り付けられたりした。権量銘と称される。秦時代の篆書体の貴重な資料であり、原物の伝来するものは大変少ない。この遼寧省博所蔵の秦権は、古くから有名な銘文であり、26年(前221)の銅詔版である。民国期の容庚の『秦漢金文録』にも収録され、戦前の拓本では、この銘文の後に、裏側に刻されているやや大きな文字の銘文が数文字付されている。家蔵にもこの銘文拓本があり、『秦漢金文録』とおなじである。
③ 安平楽未央瓦当
1979年、遼寧省出土の瓦当文である。解説によれば、当文の「安楽」は、前漢時代の県名とされる。西安を中心に漢時代の多くの瓦当文が知られるが、県名を用いた瓦当文は稀である。文字の布置も円の中心を基に回転するように布置されている。文字の字画の繁簡の差を補うために、空いた余白に点を付して、均等な構成を示している。珍しい瓦当文である。
④ 毋丘倹紀功残碑
「丸都山紀功刻石」「高句麗残石」とも称される。吉林省輯安県の出土である。知県・呉光国が、光緒32年(1906)に道路修築の折りに発見したと伝えられる。毋丘倹が高句麗を魏・正始6年(245)に討った時の功績を記念して建てられた碑の残石である。碑陰には、談国桓等らの観記や跋文が刻されている。この碑の発見者・呉光国が、光緒32年に日本軍人の堀米大尉に跋文題記を付して贈った拓本が、戦前に日本で影印され、早くに日本では紹介されてきた。正始6年の紀年があり、隷書であるが、漢隷とは趣が異なり、魏の「孔羨碑」や「受禅碑」の筆勢に近い。この拓本は珍しいものであろう。
⑤ 熹平石経残石
後漢の熹平年間に儒家の経典を石に刻し太学に建て、天下に示したとされる。その残石が近代になり出土した。古くから伝来する宋拓熹平石経とされるものは、後世の翻刻であり、原刻拓本ではないとされている。出土したものは多くが小さな断石であるが、非常に貴重である。遼寧省博物館の所蔵するものも10数字前後の小品である。漢隷の正統的な書風を見る事が出来る。
◉資料提供/光和書房、木雞室(記載のある2点)
◉解説/伊藤滋