今月の名品 vol.21 散氏盤

散氏盤
紀元前9世紀(西周時代)

図1
散氏盤

「散氏盤」雑考

文/伊藤 滋(木雞室)

 金文拓本の名品「大盂鼎」「散氏盤」「毛公鼎」「虢季子白盤」の4件は、「晚清四大国宝」として古くから知られ、篆書学習の優れた範本として多くの人々に学ばれてきた。ここで紹介する「散氏盤」は、金文の中でも独特の書風を示している。金文の多くは、文字が鋳造されている。左右対称の字形、抑揚の少ない点画などから静かな落ち着いた沈着な書風の銘文が多い。その最たるものが、「大盂鼎」であろうか。「散氏盤」の書風は、実に伸びやかで、字形も左右対称的な趣はなく、歪みの構成を見ることができる。多く用いられている「散」「有」「南」「宮」の文字を取り出してみた(図2)。独特の趣の書風を示している。

図2
「散氏盤」の文字

 この「散氏盤」は、4件中最も古く乾隆年間(1736~1796)に出土したとされる。嘉慶皇帝の50歳(1810年)のお祝いに臣下により献上されたが、書画骨董を酷愛した乾隆皇帝と異なり、嘉慶帝は、そうした趣味がなく、「散氏盤」は、嘉慶、道光、咸豊、同治、光緒、宣統年間まで、100年あまり内府に静かに所蔵されたままであった。民国13年(1924)に内府の養心殿内の倉庫から再発見されたと伝えられる。その後故宮博物院の所蔵となり、国共分裂に伴い、故宮博物院の多くの所蔵品とともに1949年に台湾の故宮博物院に移設され現在に至る。
 これまで多くの「散氏盤」の銘文拓本を目にしてきたが、ほとんどが「故宮博物院古物館傳拓金石文字之記」の朱文印が捺され、1924年から1949年の20数年の間に制作されたと推測される。家蔵本の1件は、入手したときは未装であり、「周散氏盤 宣統甲子春月精拓本 臣金梁恭呈」と印刷された封筒に収められていた(図3)。中の未装拓本の右上方の余白に「養心殿精鑑璽」の朱文印が押されてあった。上述の散氏盤再発見時の拓である。先の家蔵本の封筒の題記の宣統甲子は、1924年に当たる。

図3
未装本を収めていた封筒の印刷

 今回のこの欄で紹介する「散氏盤」拓本(図1)は、これまで多く目にしてきた銘文拓本とは、拓調がやや異なり故宮博物院の印もない。おそらく嘉慶帝のお祝いに内府に献上される以前の数少ない旧拓本と考えられる。右端に旧蔵者による題記の小片が装されている。「周散氏銅盤銘旧拓精本 釈文載阮文達公積古齋款識器為洪氏所蔵乾隆末入御府拓本遂為人間所罕観可不寶諸 鈁齋題記」と書かれている(図4)。また拓の周囲に10数顆の鑑蔵印が捺されている。多くの印文が読みがたいが、「鉄雲審定金石書画」の縦長の朱文印を確認することができる。おそらく清末の甲骨文の発見者として名高い金石大家・劉顎(鉄雲)の鑑蔵印であろう(図5)。旧拓であるがために、器型の拓は付されていないが、名家の逓蔵を経た「散氏盤」の旧拓善本の一であろう。

図4
旧蔵者による題記の小片
図5
鑑蔵印
「鉄雲審定金石書画」

◉資料提供/光和書房(図1・4・5)、木雞室(図2・3)

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