康有為 行書対幅
清末民初
今回紹介する作品は、康有為(1858~1927)の手になる対幅で、上聯「吏才自強項」、下聯「慧業本聡明」です。彼は中国広東省南海の人で、原名を祖詒、字は広厦。長素・更生・西樵山人・明夷などと号しました。
初めは朱次琦に師事して経学を修め、次に西洋の学説を学び、後に廖平に公羊学を学んでからはこれを深く研鑽し、集大成するにいたりました。
清朝末期の政治活動家として活躍するようになった彼は、中国で政変(1898年の戊戌の変法・1911年の辛亥革命)を起こすと、2度亡命来日し箱根の老舗旅館に滞在し作品を残しています。平成9(1997)年、成田山書道美術館において開催の「箱根を訪れた文人墨客展」で、この箱根に残された4点の作品を展示紹介しています。
そして、康有為が成田山新勝寺にも逗留していたことを、成田山中興第15世、石川照勤貫首に贈った作品ならびに「望洋文庫」扁額(乙丑歳記の隷書体)から確認できました。(「弘法大師ご誕生1250年記念 成田山の美術」と題した展覧会が、同書道美術館で開催され、石川照勤貫首に宛てた作品が公開される。2023年4月22日~6月18日)
さて、今回掲載の作品を含め彼の書法家、書学者としての足跡を鑑みるに、その著書『広芸舟双楫』は包世臣の諸説を継承しこれを拡充発展せしめた論書として光彩を放つものではありますが、少々独断、偏見を免れません。実作においても包法を基に張廉卿の意を汲む筆致で下筆してはいるものの熟練度に乏しさを感じます。ただ、掲載作は用筆が尋常とは異なり、少し太めの長鋒紫毫を使って逆筆(筆先を中へ包み込む)の筆法で書した感があります。
◉資料提供/光和書房
◉解説/橋本玉塵(書家・法政大学非常勤講師)