『書史千字文』を読む 文/伊藤文生 〈001〉 太極是先、兩儀已全。

 中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。
 4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。
 連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。
『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

中国書道史を千字文にまとめた『書史千字文』。4字1句からなる原文を、伊藤文生氏(書文化研究会)が2句ずつ読み解いていきます。連載をはじめてお読みいただく方は、まずは「はしがき」からどうぞ。『書史千字文』の全文(原文と現代語訳)をご覧になりたい方は、こちらへ。

〈001〉
太極是先、兩儀已全。
タイキョクをもととして、天地が生まれた。

 ふつうに訓読すると、「タイキョクさきんじて、リョウすでまったし」でしょう。
 原文に即して翻訳するなら、「太極が先にあり、両儀もそろった」とか「太極がはじめにあり、両儀がととのった」とか「太極が最初で、両儀ができあがった」とか、いろいろに考えられます。

 問題は、「太極」と「両儀」(とその関係)です。
 一字一字について確認してみましょう。
「太」は「おおもと、はじめ」、「極」は「いきつくはて、究極」ということです。
 そうすると「太極」は、「究極のおおもと、はじまり」でしょう。
 言い換えてみると、「万物あるいは宇宙ができあがる根源」を「太極」と名づけたということになるようです。

「太極是先」とは、「太極(=はじめ)が先(=はじまり)である」ということ。
 この「是」は助字で、目的語を前に出して強調するはたらきを示す、と説明されます。
 ふつうなら「先是太極(先は太極である)」というところを「太極是先」と表現しました。「太極」こそが「先」なのである、という感じでしょう。

 万物つまり全ての存在、存在する物全部、全宇宙あるいは全世界を想像してみます。
 そして、さらにその根源(=みなもと、はじまり)を想像して(心あるいは頭に思い描いて)、根底からの万物創造のようなことをかんがえる。その宇宙あるいは世界のはじまりを「太極」と呼ぶことにした、ということのようです。

「両儀」の「両」は、二つでひとくみ(あるいはイッツイ)になるものの双方。二つひとまとまりの二つを「両」といいます。
「儀」は、多義的で意味がはっきりしません。「両儀」の「儀」と限定すると、宇宙の根源を意味することになるようです。
 根源を一つにしぼると「太極」であり、二つにすると「両儀」となる。さらに、根源を三つとすると「三儀」すなわち「天・地・人」という。いろいろな考え方があり、それぞれの考え方に応じた言葉がある、ということでしょう。

 宇宙の根源たる「両儀」とは、具体的には天と地とです。あるいは、インヨウとのこと、とも言えるようです。
「両儀已全」の「已」は、行為や事態が間もなく起きたり現れたりすることを表わし、「やがて」「ほどなく」と訳してだいたい通じるようです。「全」は、きずや欠けたところがなく、そろっているということ。
 先に「太極」があり、やがて、ほどなく、「両儀」がそろった。「太極」の状態から、天と地とに分かれた。
 以上まとめて、「太極是先、兩儀已全」とは「タイキョクをもととして、天地が生まれた」ということになります。

 補足すると、「太極」と「両儀」とは、『エキ』に見える語句です。
 陸島立誠は『書史千字文』の注として「易曰、易有太極、是生兩儀。兩儀生四象、四象生八卦」としています。
 というより、『易』の「易有太極、是生兩儀」をふまえて、陸島は「太極是先、兩儀已全」と作文したようです。

『易』は『エキキョウ』であり『シュウエキ』ともいいます。そのケイジョウデンに「易有太極、是生兩儀。兩儀生四象、四象生八卦」とあります。
 書き下すと、「エキタイキョクり、リョウショウず。リョウ ショウショウじ、ショウ ハッショウず」。
 太極→両儀→四象→八卦と生じるもののようです。図式的に示すと以下のようになります。

八卦の生成図

Created by modifying “Creation-of-bagua.png” (Gmk35298, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 この『易』に類似した文章として、『ライレイウン篇に「本於大一、分而爲天地(タイイツもとづき、かれてテンる)」とあります。「太極」は「大一」(のようなもの)であり、「両儀」は例えば「天地」である。「大一」は「太一」「太乙」「泰一」と同じとされ、「太極」も「大極」と同じとされます。「大」と「太」との関係は簡単なようで、わかりやすく説明するのは容易ではありません。「おおきい」と「ふとい」とは違うのに、「大一」と「太一」とは同じようです。まあ、あまり違わない、らしいということで納得しておきましょう。

 原文(刊本)の字形に注目すると、「兩」の「入」が「メ」のようになっています。楷書では「入」ではなく「人」のように書くことが多く、これは珍しい例のようです。「」の字は、「」「おのれ」と形が似ていて、まぎらわしい漢字の代表的なものです。ただ、意味がかなり違うため、前後の文脈からここは「」のように見えても「」であると判断できます。
 ちなみに、周興嗣の『千字文』に「己」は有っても「已」と「巳」とは無く、この『書史千字文』に「已」は有っても「己」と「巳」とは有りません。

『書史千字文』版本より
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