疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか?
游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、
その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、
回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。
新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。
疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか? 游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。
Q 高校の書道の仮名の教材で、隅田八幡人物画像鏡を扱うのはなぜ?
高等学校芸術科「書道」教員をやっています。仮名の教材ではまず隅田八幡人物画像鏡を教えるのが通例なのですが、銘文の文字はどう見ても仮名ではなく、漢字にしか見えません。なぜあれを仮名で扱うのですか?(20代、高校「書道」非常勤講師)

隅田八幡人物画像鏡
出典:Wikimedia Commons
A 書道でいうところの「仮名」が、少し狭義に偏っているのかもしれません。
※本稿では文章を読みやすくする目的で、漢字で「仮名」と表記し、あわせて「平仮名」「片仮名」と表記を統一しています。
国語の「仮名」と書道の「仮名」
結論から言いますと、日本語表記としての仮名と、書道で女手(平仮名)を主として扱う仮名との混同が見うけられます。これは広義の仮名と、狭義の仮名との、解釈の落差による混乱と言ってもよいでしょう。
まずは和歌山県橋本市の隅田(すだ)八幡に伝わった人物画像鏡(国宝)を見てみましょう。学説によって異同がありますが、一般的な解釈では、
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱造此竟
とあり、
・「癸未(みずのとひつじ)の八月の日」、
・「男弟王が意柴沙加宮(おしさかのみや)に在りし時」に、
・「斯麻(しま)が長寿を念(おも)い」、
・「此の鏡を造った」
らしいことが分かります。
「癸未年」がいつの癸未年を指すのかも確定はできませんが、鏡の様式などから西暦503年説(古墳時代後期)が有力視されています。「在二意柴沙加宮一時」(オシサカ宮に在りし時)や「斯麻念二長寿一」(シマが長寿を念ひ)、「造二此竟一」(此の鏡を造った)など、まさに漢文語法で書かれていて、使用されている文字は明らかに漢字です。
ところが、どうも地名と類推される「意柴沙加(オシサカ)」や、人名と類推される「斯麻(シマ)」は、日本語の発音のまま漢字で表しているのが確認できます。この表記法がまさしく、仮名なのです。つまり本来「仮名」とは、日本語の発音に合わせて、漢字が備えている義(意)とは無関係に、漢字の音だけを借りて表記する方法をいいます。日本語の一音を、漢字一字で表すことが基本です。
おそらく教科書の編集者は、仮名の成立を理解させるために、仮名の歴史のスタート地点にある隅田八幡人物画像鏡の銘から丁寧にページ構成をはかった結果、形としてはまだ漢字のままでしかない遺品を紹介せざるをえなかったのでしょう。これはこれで正しい見解です。隅田八幡人物画像鏡銘が仮名遺品として第一級の史料であることに異論はありません。
しかし、考古学者でさえその銘文を確定できないものを高校生に理解させようとすることにも少し無理がありそうです。それが却って混乱を招くようなら、今後はさらなる工夫が必要かもしれません。一通り仮名を履修したところで、仮名の源流を学ぶとか、あるいは教員がしっかりとした認識をもって、生徒にその混乱をさせない授業の展開を工夫するなど、教え方の余地はまだあるはずです。
あるいは、日本語の発音通りすべて完璧に仮名で表記ができるようになったことを示す遺品である奈良 薬師寺の仏足石歌碑あたりから、草仮名、そして女手(平仮名)への発展をまず理解させる方が、余計な混乱は避けられるし、仮名学習の第一歩としてはそれで十分ではないかとも思います。
隅田八幡人物画像鏡が最古級とはいえ、それはたまたま伝来したのがこれであっただけで、もっと古い仮名遺品があった可能性もあります。あまり一つの遺品だけに拘泥せずに、学習者に応じた教材の用意が今後の課題かもしれません。

仏足跡歌碑
(部分)
出典:Wikimedia Commons
仮名は日本人の発明か?
ところで、書道の世界ではよく、「仮名は日本人が生み出した最大の文化」というような言われ方がされます。このような場合の「仮名」は、いわゆる上代様を典型とした仮名書道と、日本語表記としての仮名をごちゃまぜにして、語られているように思われます。
もともと文字を持っていなかった日本語なので、文字表記の場合は漢文で書くしかなかったなら、『古今和歌集』や『源氏物語』は生まれることもなかったでしょう。『古今和歌集』や『源氏物語』の後世への影響ははかりしれません。書道で「仮名は日本人が生み出した最大の文化」というたぐいのフレーズを聞くとき、仮名書道が『古今和歌集』や『源氏物語』の庇を借りて、当主のような顔をしているように聞こえることもあります。
仮名には片仮名や、女手の発達する前の万葉仮名などもありますが、あくまでも「女手」(平仮名)のみをもって「仮名」と言っているようです。また、安易に仮名を「日本人が生み出した」と言ってしまうのが少し憚られる状況も見えてきます。
例えば、高句麗の好太王碑(広開土王碑)を見てみましょう。高句麗の第19代の王(諡号は国岡上広開土境平安好太王/391〜412年在位)の業績を称えるために、息子の長寿王が西暦414年に建てたとされています。こちらも母国語の文字を持たなかった朝鮮で、朝鮮語を母国語とする者が作った漢文が記されています。

(部分)
出典:ColBase
惟昔始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘天帝之子、母河伯女郎、……由夫餘 奄利大水、王臨津言曰……
(惟レ昔ノ始祖鄒牟王ノ創基ナリ。北ノ夫餘ヨリ出デシ天帝ノ子、母ハ河伯ノ女郎……夫餘ノ奄利大水ヨリ、王 津ヲ臨ミ言ヒテ曰ク、……)
からはじまりますが、その冒頭から人名の「鄒牟」「河伯」や地名の「夫餘」「奄利」は、隅田八幡人物画像鏡銘の地名「意柴沙加」や人名「斯麻」同様に、漢字の音だけを借りた表記がされているようです。

1行目に「惟昔始祖鄒牟王之創基也」
出典:ColBase
続いて長々と好太王が征服した城の名が列記されているのですが、こちらも純粋な漢文ではなく、漢字の音だけを借りた地名表記とおぼしき文字が並びます。
以六年丙申王躬率水軍討伐殘國軍□□首攻取壹八城、臼模盧城、各模盧城、幹弖利城、□□城、閣彌城、牟盧城、彌沙城、□舍蔦城、阿旦城、古利城、□利城、雜彌城、奧利城、勾牟城、古須耶羅城、莫□城、□□城、分而能羅城、場城、於利城、農賣城、豆奴城、沸□□、 利城、彌鄒城、也利城、大山韓城、掃加城、敦拔城、□□□城、婁實城、散那城、□婁城、細城、牟婁城、弓婁城、蘇灰城、燕婁城、柝支利城、巖門至城、林城、□□城、□□城、□利城、就鄒城、□拔城、古牟婁城、閨奴城、貫奴城、豐穰城、□□城、儒□羅城、仇天城、……
(……六年丙申ヲ以テ王躬ラ水軍ヲ率イテ殘國軍□□首ヲ討伐シ、攻メテ壹八城、臼模盧城、各模盧城、幹弖利城、□□城、閣彌城、牟盧城、彌沙城、□舍蔦城、阿旦城、古利城、□利城、雜彌城、奧利城、勾牟城、古須耶羅城、莫□城、□□城、分而能羅城、場城、於利城、農賣城、豆奴城、沸□□、 利城、彌鄒城、也利城、大山韓城、掃加城、敦拔城、□□□城、婁實城、散那城、□婁城、細城、牟婁城、弓婁城、蘇灰城、燕婁城、柝支利城、巖門至城、林城、□□城、□□城、□利城、就鄒城、□拔城、古牟婁城、閨奴城、貫奴城、豐穰城、□□城、儒□羅城、仇天城、……ヲ取ル。……)
もちろん朝鮮語ですので、日本語でこれを読むことはできませんし、一音一字という言い方もあてはまらないでしょう。しかし、これらの城名を眺めていくと、【牟・夫・餘・利・八・弖・彌・沙・阿・古・須・耶・羅・而・能・於・農・豆・奴・也・加・婁・散・那・蘇・支・天】など、馴染みのある変体仮名の字母が頻出することに気づかされます。

後ろから3行目に「以六年丙申王躬率水軍」
出典:ColBase
この事例からだけでも、仮名は必ずしも日本人が発明したものではなく、母国語に文字を持たない民族が、本来は中国語表記のためにあった漢字を自国の言語表記に応用しようとして、とくに中国語で表現できない人名や地名といった固有名詞を、漢字の音だけを利用して表記しようとして生じたものであることが分かります。
おそらく、飛鳥時代までの日本人で、漢字を思いのまま読み書きできる人はけっして多くはなかったでしょう。朝鮮半島からの渡来人が、しだいに日本語の地名や人名に対して好太王碑と同様の表記をしていったのだろうと思われます。
つまり、仮名は日本人の独創などではなく、あえていうなら片仮名や女手(平仮名)の誕生が日本独自の文化だというべきなのでしょう。
同様に中国では、外国の人名や地名を表記するのに仮借(かしゃ)という漢字の用法が古くからありました。インドのシャカを釈迦と表記し、中央アジアからやってきて仏典漢訳に功績のあったクマラジュウを鳩摩羅什と表記した例を見れば、納得できるはずです。
中国の空港で、新嘉坡(シンガポール)行きや曼谷(バンコク)行きといった地名の表記を目にしますが、これも仮借の用法です。アメリカ大統領トランプさんには、「特朗普」と「川普」、2種類の中国名が付与されているようです。同じものの表記が2つ以上あるなら、それは中華式の変体仮名ならぬ「変体漢字」なのかもしれません。
いずれにしても、漢字の義(意味)は関係なく、その音だけを利用したものを、日本では特別に「仮名」と称しているわけです。
日本語の視点からみた「仮名」とはこういうものです。
仮名を尊重する態度とは?
そうすると、書道における「仮名」は、仮名の中でも極めて狭義の使われ方をしていることに気づかされます。
高等学校「書道」教科書もほぼ平安時代の上代様の学習をもって「仮名」としていますし、毎日書道展や読売書法展のような全国規模の公募展でも、「仮名」という場合は上代様を基準とした作品が9割以上並んでいて、変体仮名を用いずに平仮名だけを書いた作品や、片仮名の作品はまず目に入りません。万葉仮名の表記法で書かれていても、造形は草仮名程度で、楷書で万葉仮名を表記した作品にもほとんど出会えません。
つまり学校でも展覧会でも、きわめて狭い視野で「仮名」をその表層上の、文字の姿にだけ認めているのが現実です。
また、仮名の名筆を眺めていっても、純然に仮名ばかりなどということはありません。多くは漢字表記の語句も混在しています。一例として高野切第一種を通覧すると、「寛平」「仁和」「貞観」「元慶」といった元号や、「二条」「貫之」「紀友則」「大伴黒主」といった人名、「明州」のような地名、『続日本紀』という書名、そして「東宮」や「朝臣」「今上」「花」などは漢字で書いています。冒頭の題名も漢字です。それなのに私たちは、それを「仮名」の代表的な名跡としているのです。
あらためて考えると、仮名書道の概念は極めてあいまいで、「なんとなく、ああいうもの」を仮名として共通認識しているにすぎません。
もともと中国語を表すためにあった漢字を使って、日本語を正確に表記する仮名の誕生は、たしかに画期的ではありました。ところが一音一字の仮名表記をいったん身につけてしまうと、やはりそれだけでは意味を即座に理解するのが難しい場合があり、漢字が持つ表意性の恩恵は捨てがたいものだったのでしょう。平安時代中期の女手(平仮名)完成直後から、わずかではあっても、漢字を交え、漢字仮名交じりが日本語の表記としては定着しているのです。
きっと書道でいうところの「仮名」という言い方には、かなりな無理があるのでしょう。どうしても、大陸から来た文化ですから、漢字で漢詩漢文を書くことはあります。それを「漢字」というジャンルにすると、どうしても「漢字」に対して「仮名」になってしまうのです。
「仮名」といいながらも、日本語は漢字を交えて書かざるをえません。「仮名」という漠然としたジャンル名称に引きずられ、結局は上代様の仮名ばかりが尊重される仮名書道になってしまいます。
隅田八幡人物画像鏡の銘は、固有名詞に仮名表記を交えた明らかな漢文です。
薬師寺の仏足石歌碑は、すべてを一音一字の仮名表記にした日本語です。
高野切は、女手(平仮名)を中心に、必要に応じて漢字を交えて書いた古今和歌集の写本です。高野切は仮名というよりも、日本語というべきなのでしょうか。
いずれも、その当時はそれが最も日本語表記としては最先端の表記法だったはずです。しかし、21世紀の現代は日常生活で変体仮名を使う必要もなければ、これを日常生活で使う人もいません。ただ単に先人のやり方をそのまま踏襲するのではなく、一つ一つ根源に立ち返り、「仮名」を考えてみることが、じつは仮名を尊重する最も大切な態度なのだろうと思われます。
その意味では、仮名の学習の最初に隅田八幡人物画像鏡を扱うのは、書道が一般的にいうところの「仮名」を改めて問い直すためには、重要な教材であるのかもしれません。

(部分)
出典:ColBase
財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。
『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、
『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。
NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、
今もYouTubeで視聴できる。
団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。
財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、今もYouTubeで視聴できる。団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。