「おバカな質問」にガッツリ答えます! 文/財前 謙 vol.11 ヘタウマな書は、上手なんですか? 下手なんですか?

疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか?
游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、

その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、
回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。
新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。

疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか? 游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。

Q ヘタウマな書は、上手なんですか? 下手なんですか?

 テレビ番組の題字や商品パッケージにはヘタウマな書をよく見かけますが、あのヘタウマは、上手なんですか? 下手なんですか?(50代、会社員)

A ヘタウマを真似たものは、完璧な下手です。

なぜ高校生は北魏風に惹かれるのか

 「ヘタウマ」……よく耳にしますね。特に絵手紙ブームのころから、書の分野でもこの言葉が行きかうようになったように記憶しています。先年亡くなられた絵手紙作家 小池邦夫の、「ヘタでいい ヘタがいい」というフレーズも、ヘタウマを押し上げたように思います。
 ある時期から「甲子園」開会式のプラカードを高校生が書く試みが始まりました。ここでは北魏風の楷書が書かれているのをよく目にします。また、高校生の書道展では北魏の造像銘を臨書したものが入賞しているのをよく見かけます。なぜ高校生は北魏風に惹かれるのでしょうか。
 その理由のひとつに、「書写」教育への反発が考えられます。音楽に譬えるなら、厳格なクラシックに対してロックに惹かれるのと似ているかもしれません。
 小学校以来「書写」の授業で、整えて書くことを強要されてきたことへの反動と、思春期特有の自由を求める衝動から、北魏風の荒々しく、力感のある書が魅力的に映るのでしょう。「自分らしさ」を出したい青春期の欲求がそこには認められますが、「自分らしさ」の集合体が、結果的にどれもよく似た北魏風への傾斜を生んでいるのは皮肉な現象です。
 また、楷書でいうなら虞世南、欧陽詢、褚遂良といった初唐三大家の楷書はあまりにも完成度が高すぎて距離感があり、完璧へのアンチテーゼとして、北魏碑のもつ荒々しさや、破綻すれすれの造形に、個性を求める思いが意気投合するようです。高校生の北魏風好みの傾向は、完璧な楷書へのカウンター(対抗文化)として機能していると言えるのでしょう。
 またその傾向は、均質で平準化に向かう現代社会の閉塞感への抵抗とも合致し、整いすぎたものより「崩れ」を「美」と錯覚させ、世にヘタウマな書が氾濫する傾向も認められます。

そもそも、ヘタウマとは何だろう?

 ヘタウマとは文字通り、「下手だけど上手い」、つまり技術的には未熟だが、「崩れ」や「ゆがみ」「不均衡」「無邪気さ」に「味わい」や「表情」があるとみるものです。
 そもそも「ヘタウマ」という言葉と概念は、高度経済成長が一段落したころから使われ始めました。技術的には拙く、それを意識的に前面に出すことが、個性尊重の風潮の中で流行しました。その流れの中で、日本生命のテレビCMで「不器用ですから」というセリフが大流行し、やがてそれがCMに出演した高倉健の俳優イメージを語るキャッチコピーにもなったことはよく知られています。「不器用」に価値を見出したヘタウマ文化は、規格的、画一的な商品であふれた社会の中で、日本人が「自分らしさ」を求めた、一つのベクトルだったのでしょう。
 書道界でも、たとえば良寛の書が評価され、良寛ブームといわれた時期がありました。整った、規範的な書に対して、良寛の書に見られる「ゆがみ」に、素朴さや味わいを求めるもので、その方向性への共感は今も続いています。
 ロゴやパッケージなどの文字はヘタウマで書くことで、人間味を演出できると考えられ、多くの商業デザインでヘタウマが取り入れられています。マスコミも書を扱う場合に、「大衆」=「ヘタウマ志向」の前提からか、さほどでもない力量の書家を敢えて重用する傾向は、多くの書道関係者に共通した認識ではないでしょうか。
 さて、ここで一つ注意しておかねばならないのは、さきほどの北魏風同様、ヘタウマが一つの規範になり、書の安易な評価につながってしまうことです。〈書〉が難解ではないといいながらも、けっして安易なものでもないことを肝に銘じておく必要を感じます。
 たとえば絵手紙が流行した時期には、どれもこれもみな「絵手紙風」の絵手紙であった現象を思い出せば明快です。当時、ヘタウマ人気を利用し、「書画の才能をもつ芸能人」として、自分の商品価値を維持していた芸能人もいました。これらは、本来のヘタウマの意義とは違った方向に流れる危険性をはらんでいます。
 ご質問に即して答えるなら、「ヘタウマ」の発想そのものは時代の要請だったが、それが目的となり、類型化してしまうと下手の極致に至るものだと私は考えています。

中川一政の書

 洋画家 中川一政の書は、ヘタウマの書として語られる最右翼でしょうか。ヘタウマの書の教祖の如く、類似した書を随所で見かけます。市場評価としても中川一政の書は、専門の書家の書作品の及ばない高額で取引されています。この市場価格も、よく似た模倣作を生み出している理由の一つでしょう。
 が、中川一政の書は、その類似作とはなにかが違う、独特の書です。
 中川一政は世の書道の常識などとは無関係に字を書きましたが、それでも若いころには仲間と金農(冬心)の書を研究した時期もあり、最晩年には『一休宗純墨蹟』(中央公論社)の編集を引き受けるなど、突出した書の表現をやった古人への思いは常に持ち続けた人でした。『一休宗純墨蹟』には、中川一政の描いた「一休像」の複製が付録としてついていましたが、これも伝来する一休肖像画の多くとは全く異質で、写実とも程遠い一休像です。しかし、どう見ても一休以外には見えない絵なので不思議です。少なくとも、伝来する一休像の情報収集の結果描いた画ではなく、深く一休の詩文に思いをめぐらせ、自己の脳裏に浮かんできた一休を描いたのだろうと思われます。なので、中川一政でなければ描けない一休像になっています。
 つまりその書もまた、現行の書道に対する反抗でもなければ、「上手さ」の否定でもなく、また素朴の追求でもなく、ただ単に自分の想像力で出来上がっただけの書です。いわば、画家としての延長線上に、書もあったと考えられます。


中川一政「雨洗風磨」

『中川印譜』(1972年、寒山會)
番外原鈐筆者所蔵本より

中川一政「KAZUMASA」

『一政印譜』(1974年、求龍堂、限定80部)
番外原鈐筆者編集所蔵寒山寺綴帙本より

 なにかを参考にしたのではなく、その字を書いた自分が常にその中心にいる書。これが中川一政の書で、臨書から創作へという構図が当然な現代書道への警鐘にもなっています。
 そこにある空気感が全く違う──これが市場価格の大きな差となっていることは間違いないでしょう。

俺は一生

 武者小路実篤の書もまた、一般的にはヘタウマの範疇に入れて捉えられているでしょう。書家という書の専門家の多くは、「有名な小説家の字だから、愛好者がいる」と考えがちですが、そこが大きな落とし穴です。
 学習院在学中にトルストイの著作に触れて以来、人間賛美の理想を描き続けた作家 武者小路実篤は、生涯にわたって筆で字を書き続けた人です。原稿用紙に向かう以外は、書画三昧の人生でした。

 桃栗三年柿八年 達磨は九年 俺は一生  實篤

 「桃栗三年柿八年」は、一人前になるまでに、人それぞれ相応の年月がかかることをいうことわざです。これに続けて、「柚子の大馬鹿十八年」ともいいます。実をつけるまで十八年もかかる柚子は、小賢しさとは無縁な大器晩成型で、武者小路実篤の自覚は、大馬鹿な柚子だったはずです。しかし、その大馬鹿は、貴い大馬鹿です。


武者小路実篤 短冊
(筆者所蔵)

 ここに武者小路実篤は「達磨は九年」と続けて、面壁九年の故事のある達磨大師を引き合いに出しました。一つのことに脇目もふらず努力することの譬えです。インドから中国へやって来た菩提達磨が、嵩山の少林寺で九年の修行の後に悟りを開いたことは、つとに有名です。
 さらに実篤はそこに、「俺は一生」と付け加えます。学習院中等科に在学中、留年してきた志賀直哉と出会い、その完璧で整然とした文体に、到底自分はかなわないと劣等感を抱いた実篤でした。しかしそれを転化し、背伸びはせずに、ひたすら誠実に生きることを指標とし、志賀直哉とは違った文学をうち立てたことはあまりにも有名です。
 要領よく生きることなどとは無縁の武者小路実篤でした。その書もまた要領を得ず、ぎこちない字です。凡人なら、近所の書道教室にでも通って、もう少し気の利いた字が書けるようになりたいと思うのでしょうが、実篤はただ誠実に字を書けはいいという信念で、書き続けました。ヘタウマで、素朴な味わいを表現しようなどとも考えていない書です。
 ただ人間力そのもので、一切の嘘のない、これはこれで貴い書です。


武者小路実篤 色紙
(筆者所蔵)

 明治18年(1885)生まれなので、武者小路実篤は終戦を60歳で迎えたことになります。
 長く武者小路実篤は署名に、「實篤」と旧字体を用いてきました。「實」が戦前では通用の漢字だったので当然のことです。武者小路実篤の戸籍も、きっと「實篤」だったでしょう。ところが実篤は81歳(昭和41年頃)以降、その署名を新字体で「実篤」と書くようになり、昭和51年(1976)に90歳で亡くなるまで、「実篤」を通しました。
 世間では今でも、こと自分の名前では自己愛を伴って、旧字体や異体字の使用に執着する人が多いものです。80歳を超えた高齢になっても、かたくなにならず、なおも素直にあり続けようとした実篤の生きざまがここにはあります。実篤の書の清々しさは、この心のありようにあることは間違いありません。

ヘタウマの「虚」と「実」

 ヘタウマと見えながら、そうではない中川一政と武者小路実篤の書を見ていくと、ヘタウマの「虚」と「実」が見えてきます。
 ヘタウマ書道は、書法という厳然と存在する正統に対して、崩しや歪みで素朴感を演出するポップ文化の要素があります。いわば、書そのものの価値ではなくて、価値観そのものの転換です。
 これに対して中川一政や武者小路実篤の書は、その本人の信念に基づいて辿り着いたものであり、それぞれ独自の信念に基づいている点も二人に共通してみられます。中川一政はあくまでも絵画の延長線上に書があり、武者小路実篤の場合は自己の信じる思想の延線上に書があります。書法の埒外にいますが、書法の価値観を否定しているわけではない点も二人に共通しています。
 しかし、だからと言って中川一政の書や、武者小路実篤の書を模倣すると、それはもういただけないものになってしまいます。その意味では、模倣も否定も同じ次元なのです。
 最後にもう一つ。私がこれまで見てきた中川一政と武者小路実篤二人の書は、どれも吸い込まれるような墨色を発揮していました。それぞれの使っていた、磨りかけの墨を見ると、共に超一級の古墨です。二人の書の墨色は、ヘタウマなどと言ったロジックではたどりつけない高雅なものです。文房四宝へのあくなき探求も、書の醍醐味の一つなのです。
 プラスチックの容器から墨汁を注ぎ、意識的にヘタウマで書いたようなものとは、天と地の差があることを、あらためて自覚しておきたいものです。

財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。
『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、
『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。
NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、
今もYouTubeで視聴できる。
団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。

財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、今もYouTubeで視聴できる。団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。

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