疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか?
游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、
その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、
回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。
新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。
疑問を持ちつつ、なんとなくそのままにしていることってありませんか? 游墨舎スタッフが耳にした素朴な(おバカな?)疑問(Q=Question)を、その道のプロフェッショナルの方々にお尋ねし、回答(A=Answer)をまとめていた以前の連載「書道に関するおバカな質問」を一新。新シリーズでは、書家であり研究者でもある財前謙氏が、とことんガッツリお答えします。
Q 舅の遺した硯の始末、どうする?
長年連れ添った夫を見送り、今年は元気なうちに自身の終活を開始したいと思っております。自宅の売却が最大の山ですが、舅の遺した硯が十数面あり、その価値も分からず、その始末をどうしたものかと悩んでいます。趣味で書道をやっていた舅は、中国旅行の度に硯を買ってきていました。古美術商の方に連絡すれば、引き取ってもらえるものでしょうか。(80代、専業主婦)
A パソコンやスマホの購入に出費がかさむからか、硯が売れないそうです。高価な買取は期待しない方がよいでしょう。
中国旅行の土産で買ってきた硯は、古美術商に相談しても引き取ってもらえない可能性の方が大です。中に一つでも良硯があれば、「売れそうなものはないが、奥さんもお困りでしょうから」などといって、安値で引き取られるのがオチです。業者に相談するなら、宝くじを買うくらいの気持ちで臨んだほうがよいでしょう。
まず現在、墨を磨って毛筆で字を書くことどころか、ペンでも書くことが少ない時代ですから、硯の需要は以前ほどありません。書道展などでは大作主義が多くなり、液体墨を使う書家がかなりの割合で見うけられ、硯はあまり売れないと聞きます。したがって、よほどの代物でないかぎり、業者も引き取りを躊躇する場合が多いと思われます。
その硯を一つ一つ手に取ってみなければ何とも言い難い、というのが正直なところです。そこで、とびっきりの硯に出会った私の個人的な経験を三つ紹介し、硯始末の参考にしていただければと思います。
大名家の硯
書道人の端くれとしての自負がなくもなかった20代の頃、硯の所有欲のあった時期もありました。初めての中国旅行のおり、上海の友誼商店で購入した小さな端渓の古硯は、いまも手紙を書くときなどに愛用しています(古硯といっても、制作年代が150年以内の海外持ち出し許可の臘スタンプが付いた骨董に過ぎません)。これは、硯の客観的な評価ではなく、「初めての中国旅行で買った」という自身の思い出からくる愛着です。
硯の評価をする場合、名硯には二つの意味あいがあることをおさえておいてほしいと思います。一つは硯の石質が優れていること。二つ目が、硯の骨董的な価値です。その両方を兼ね揃えているならば、それに越したことはありません。
そもそも硯は所詮、石でしかありません。硯の形をしていなければ、ただの石です。石は、地球の深いところから噴き出したマグマが冷めて固まった、何万年、何十万年前、場合によっては何百万年も前のものです。したがって、宋代の硯がいいなどと言っても、そのわずか数百年の差は石質の観点からしたら取るに値しません。ダイナマイトで山を爆破して採掘が可能な現代は、宋時代などよりも優れた石質の硯材を得ることが可能だということも考慮しておいた方がよいでしょう。よって一括りに、宋硯、明硯なら無条件にいいというものでもありません。
ただし、例えば青磁や白磁にみられるような、後代が追随できない文化の背景を持っていた宋時代の硯には、後の時代が真似のできない風格が備わっているのも事実です。でもこれは、教科書で学んで分かるようなものではありません。実際に実物を自分の眼で見る、触る、できれば墨を磨ってみる経験を積んで、初めて見えるようになるのを期待するしかありません。やはり自分でいくつも買って、失敗も成功も経験するしかありません。
書道で一番の難関は墨磨りだと思うことが、最近しばしばあります。優れた墨が必要で、しかも水がよくないと、いい墨は磨れません。さらに最後、その墨を研ぎだす硯の良し悪しで、発墨は大きく異なります。「最後は、硯」。でも硯は魔物です。硯の天井は、どのあたりにあるでしょうか。
もう今から40年ちかく前に、細川家伝来の文化財を保管する永青文庫(東京都文京区目白台)で、所蔵する名硯の展覧会がありました。このとき見た硯の一つ一つが、それまで目にしたことのない風格を持っていた記憶は、今も鮮明です。銀座の鳩居堂2階のガラスケースにも優れた硯がたくさん並んでいますが、それらとは桁違いの風格を細川家の硯が放っていたのは、忘れようにも忘れられません。
細川家──室町幕府の中枢にいて、応仁の乱で京都を焦土に焼き尽くしながらも生き残った守護大名であり、徳川時代は熊本城の大名として肥後一国を治め、維新後は侯爵家として華族に列し、平成時代には熊本県知事だったご当主が突如 内閣総理大臣になったのは、まだ多くの人が記憶しているはずです。日本の名家中の名家であることは、言わずもがなです。
したがって、その大名家が所蔵する硯の数々は、そこらへんで売りに出ているようなたぐいのものではありません。「米の値段が上がった」などとぼやいているような庶民の背伸びで手に入るような硯でないのは、歴然としていました。
このとき以来、私の硯熱は急降下。平熱に戻って、実用で使い勝手のいい硯を数面持てば十分と思うようになりました。
※昨年夏にも、永青文庫美術館では文房四宝の展覧会が開催されました。硯の出展数は限られていましたが、HP上でその一部を見ることができます。
磨墨の心地よさ
二つ目は、2009年の初夏に、日本航空(JAL)国際線機内誌『SKYWARD』の取材に応じたときに出会った硯の話です。日本の書道文化を特集するとのことで、老舗筆墨店のご主人からの誘いでした。
まずこのご主人が秘蔵するコンパクトな硯板に水を数滴注ぎ、墨を磨るところから取材は始まりました。フラッシュとともにシャッター音が次から次へと響きます。
それまで私は、「良質な硯面はそっと撫でると、指の皮膚が引っ張られるような感触がある」という説を信じていました。鋒鋩がよくたっているものほど、皮膚がねっとりと引っ張られるような感触があるのは事実です。その感覚を信じて購入した端渓硯は、もう40年近く、日々愛用する硯の一つとなっています。
ところがこのときの硯板は、最初手にしたときあまりにもつるつるとしていて、指の皮膚が引っかかるというような感触が全くありませんでした。異国の女性と思われる図像の彫りが施されていて、「この硯はいったい何なんだろう」との思いしかありませんでした。
ところが、墨を磨り始めた瞬間から、それまで経験したことのない心地よさを感じることとなりました。軽く墨を動かしただけなのに、どんどん墨が削られていく感触がありました。「発墨」という言葉の意味を初めて納得したような気分でした。つまり、私がそれまで指の皮膚が引っ張られるような感触を感じていた硯を上級の硯だとするなら、この硯は特級の、特別に鋒鋩が細かな硯だったようです。

かなうなら手に入れたいと思い、ご主人にその硯の価格を尋ねたところ、「いやいや、これは自分の趣味の硯で、売り物じゃないですから」と言われてしまいました。なんとなく彫りは新しい感じがしましたから、最上質の硯材をもって硯職人に新硯として製作させたものだったのかもしれません。いずれにせよ、この時の磨墨の心地よさは、後にも先にも経験できないものでした。
良質の硯はそうたやすく手に入るものではないことの一例として考えていただければよいと思います。
余談になりますが、この機内誌には後日談があります。取材時にその硯で磨った墨で、空色(水色)の染紙に数羽の鶴が飛び立つ図を胡粉刷りした料紙に、
おほぞらにむれたる鶴(たづ)のさしながらおもふ心のありげなるかな
という一首を揮毫しました。書道関係者には、蓬莱切に書かれている和歌としてよく知られている歌です。もちろん、日本の翼が世界にむけて離陸する姿をそこに重ねていたことは言うまでもありません。しきりにフラッシュとシャッター音を浴びながらの揮毫でした。
ところが送られてきたJALグループ機内誌『SKYWARD』2009年9月号に載っていたのは、墨を磨っている指先の写真と、筆を持っている写真のみで、鶴の料紙に鶴を詠んだ和歌の書かれた作品はどこにも見当たりません。国際線なので、日本語の和歌というのは読者を想定すると、厳しいものがあったのでしょうか。

その4か月後、日本航空は債務超過で経営破綻しました。当時は日本航空の機体から鶴丸が消え、時代の先を行くデザインになっていました。機内誌でも、鶴がテーマの書は没になりました。もしやあの経営破綻は、「鶴の恩返し」ならぬ、鶴の仕返し(?)だったのではないかと思わなくもありません……。
あれからもう15年が過ぎ、機体にも鶴が復活し、私もよく利用させていただいています。今後も安全で、快適な、そして世界に誇れる日本の翼であってほしいと願っています。
黄金比の名硯
一昨年、著者が所蔵する文房四宝を短いエッセーとともにまとめた、好ましい一冊に出会いました。求是齋主人『旅の記憶 机上過眼抄』(2023年12月15日/光和出版)が、それ。
記述から、著者は太宗の「温泉銘」拓本を我が目で確かめるために、わざわざパリのフランス国立図書館にも出向いており、かなり書の世界に心をくだく数寄者であることが分かります。著者名がなぜ本名ではなく、「求是齋主人」なのかについては、「大コレクターの蒐集に比べたら、己の愛玩品など取るに足りないものだから」という著者の謙虚な思いからだったと、編集担当者からは聞きました。この著者は医師からかなりステージの進んだがんの告知を受け、余命いくばくもないことをさとって、「書」とともにあったわが人生の形見として一冊にまとめたといいます。
この本には、もちろん印刷物を通してですが、これまで見たこともないくらい美しいフォルムの方硯が三面収録されています。いずれも端渓硯で、挿手硯が二面、硯板が一面です。
挿手硯とは、文字通り手を入れての持ち運びとその際の重量を考慮した実用の硯式です。形状が太子硯と似ていますが、太子硯の方はこれに星座が刻まれているのが特徴です。
また硯板とは、磨った墨を貯めておく「池」のない、まるでこんにゃくのような板状の硯をいいます。水の表面張力をかりて少量の墨を磨るのに使用し、以前は墨磨りの練習にも硯板が使われたといいます。硯板を使って、どう磨れば良い墨色がでるかをしっかり教えていたようです。安易に液体墨を使用する現代とは、質的に大きな格差があることを思わずにはいられません。板硯とも呼びますが、すると「硯板硯」ならいいが「板硯硯」では不自然という理屈めいた記述の書籍を読んだこともあります。

3点の硯すべて
求是齋主人『旅の記憶 机上過眼抄』より
(撮影/遠藤純)


さて、その三面を『旅の記憶 机上過眼抄』の表記にしたがって列記してみましょう。
A 端渓挿手硯(出土硯) 宋
縦 16.2cm 横 9.8cm 高さ 4.0cm
B 端渓挿手硯 明
縦 17.3cm 横 10.3cm 高さ 3.5cm
C 端渓大西洞石瑞雲大硯板 清
縦 25.4cm 横 15.3cm 高さ 2.0cm
見た瞬間に、「黄金比だ」と直感しました。キャプションに記された各硯の寸法を基に、硯の縦と横の長さの比率(=縦÷横)を割り出してみると、
A 端渓挿手硯(出土硯) 宋
縦16.2cm÷横9.8cm =1.653…≒1.618…
B 端渓挿手硯 明
縦17.3cm÷横10.3cm=1.679…≒1.618…
C 端渓大西洞石瑞雲大硯板 清
縦25.4cm÷横15.3cm=1.660…≒1.618…
と、いずれも黄金比1.618…の近似値であることが分かります。小数点第二以下に違いがありますが、視覚的には小数点第二以下はほとんどその差を認めることができないので、A、B、C、いずれもその比率を1.6と考えてよいでしょう。
この数字は、古代ギリシャ人が自然界にある美の法則を数値化したもので、黄金比とよばれています。この数字は、ギリシャ時代以来さまざまな美術品や建築に使われてきました。誰もがよく知るところでは、代々木体育館やシドニーのオペラハウスの屋根の曲線、また東京都庁舎の窓枠の縦横比などにもこれが使われて、訳もなくそれを美しいと感じるようにできています。
その数字【1.6】が、作硯に見られるのは、果たして作為だったのか、あるいは偶然にも美的感覚が一致したのかは不明です〈註〉。しかしこのことで、いかに宋代、明代の硯が、愛玩の対象であったかが納得されます。清代になると社会全体が装飾を好むようになり、装飾技術を芸術と誤認する傾向はあるのですが、清代の製作とはいえC端渓大西洞石瑞雲大硯板の方は、装飾を一切拒否した硯板であるがために、ギリシャ以来の美の法則がかろうじて受け継がれたのでしょう。
〈註〉中国では、曲尺(かねじゃく)の縦目と横目に黄金比を取り入れ、職人たちは数学的な理論には通じずとも、曲尺の活用で、結果的に黄金比の仕事ができたという見解があります。
また側面に関しては、
A 高さ4cm×4=16cm≒縦16.2cm、
B 高さ3.5cm××2=9.899cm…≒横10.3cm
であり、Aの左右側面は高さ4cmを一辺とする正方形を横に4つ並べた比率規則をもつ形、Bの前後側面も、高さ3.5cmの矩形を2つ並べた比率規則をもつ形であることが認められます。
つまり、幾何学的な美の法則によって、これらの硯を美しいと感じさせられていたことが分かります。姿のいい硯とはこういうものなのです。
日中国交回復後、たくさん訪れた日本からの観光客は、「中華=コテコテ」の誤った美意識で、装飾過多な彫刻が施された硯を喜んで買いましたので、需要と供給の関係から、その種の硯がたくさん出回りました。
質問者のお宅に遺された硯を、このような観点からみてみることも必要です。
その後の求是齋主人についてですが、幸いにも抗がん剤の効果があって、お元気に回復されたとうかがっています。かつては「死の病」といわれ、本人には気づかれないようにウソの病名を告げるのが一般的だった病気も、今では積極的に治す病気になりました。それでも抗がん剤がうまく作用するかどうかは、これまた個々の体質との相性もあるそうです。求是齋主人が清らかな書道人生を楽しまれていたことは、この一冊から十分に伺えました。病からの奇跡的な回復は、そのような清らかな生き方に対する神様からのご褒美だったようにも思えるのです。
昨春、たまたま求是齋主人にお目にかかる機会がありました。昼食をご一緒しましたが、軽く昼餉のビールをたのしむ姿は、数年前がん患者だったとは思えないはつらつとしたものでした。『旅の記憶 机上過眼抄』、ぜひご一読をお勧めします。
さて、お舅さんの残した十数面の硯、上記私の個人的経験にすぎませんが、参考にしながらその価値を検討していただけたらと思います。もちろん、古美術商などに相談してみるのも一法です。ただしその場合は一般論としては、高価な買取は期待しない方が賢明です。
それよりも、お舅さんの関係者、たとえばあなたのお子さんやお孫さん、あるいはあなたからすると義理の兄弟姉妹、またその甥っ子さん姪っ子さん方へ、(相手がいやでなければですが)一つずつ受け取ってもらうのもよいのではないでしょうか。目に見えない、親族のつながりを感じさせる品には、十分なりうると思います。
法事などでお寺さんにお世話になっているなら、毛筆書きの書きものの多い住職にも一つ、「故人が大事にしていたものだから」と言って、お納めするのも一考です。あなたの周りに書道をやっている人がいれば、その人にも一つ差し上げたらよいと思います。お舅さんが大切にしていたものなら、大切にしてくださる方のもとにあるのがいちばんの供養で、硯の本望ではないでしょうか。大切なのは、モノよりも、またカネよりも、心だと思います。硯を大切にされた故人の思いがどこかで残るのが、最も大事なことのように思われます。
財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。
『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、
『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。
NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、
今もYouTubeで視聴できる。
団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。
財前 謙(ざいぜん・けん)
1963年、大分県生まれ。第1回「墨」評論賞大賞。白川静漢字教育賞特別賞。『日本の金石文』(芸術新聞社)、『手書きのための漢字字典(第二版)』(明治書院)、『字体のはなし ― 超「漢字論」』(明治書院) 等の著書がある。NHKラジオ「私の日本語辞典」〈漢字の字体を考える〉全4回(2020年11月放送)は、今もYouTubeで視聴できる。団体に所属せず個人で活動を続ける。長年、早稲田大学で非常勤講師も務めている。