文字遊戯 文/北川博邦 第23回 印の話

北川博邦(きたがわ・ひろくに)

昭和14(1939)年生まれ。國學院大學大学院博士課程日本史学専攻修了。文部省初等中等教育局教科書調査官(国語科書写・芸術科書道担当)を経て、國學院大學教授を務める。日本篆刻社を創弁し『篆刻』雑誌を編輯刊行。

編著に『清人篆隷字彙』(雄山閣出版、1978年)、『日本名跡大字典』(角川書店、1981年)、『和様字典』(二玄社、1988年)、『日本上代金石文字典』(雄山閣出版、1991年)、『章草大字典』(雄山閣出版、1994年)、『モノを言う落款』(二玄社、2008年)など。

第23回 印の話

 私は常日頃自らの言うところ、なすところを眞面目半分と稱している。これは裏返して言うと、巫山戯半分なのである。眞面目と巫山戯が半々くらいで丁度よい具合になるだろう。これまで書いて來たことは、フザケが稍や過ぎたようなので、今回はマジメ六分か七分位にするつもりだが、それでもフザケが三分か四分は殘るので、そのつもりでお讀みくだされよ。

 印という者は、分け方にもよるが、大雜把にいうと、官印と私印との分別がある。我等私人が官印を用いることなどないから、これは先づさて置くこととする。私印もざっと分けると、雅印と俗印との別がある。雅印とは、詩文書畫等に用いる所謂る落款印、それに伴い引首、押脚等に用いる詞句成語印、また收集鑑賞した者に鈐する收藏印等があり、いわばこれがほぼ篆刻なる者なのである。

 これに對し、俗印とは世間一般の實用に必なる者、つまり實印、銀行印、さらには會社・組織等の名稱の印、その役職の印、さらに下っては所謂る三文判の類まで、その種類も數も雜多である。

 雅印、俗印などというと、雅と俗とに上下高低の差をつけているように思われるかもしれないが、實はそんなことはない。

 俗というのは世間の物事、ならわし、しきたりということであり、一般の世の中の人々の日常行爲行動のことであり、それ故に俗印と稱せられる者は、世間の日常に使用され、重要な役割を果たしている。それに對し雅印とは上述の如く詩文書畫及びそれに附随することに用いられる者であり、いわば遊戯的な者であり、世間一般の多くの人にはほとんど何のかかわりもない無用のものなのである。となれば所謂る俗印を輕視卑視することなど到底できないであろう。

 明治の頃に蘆野楠山という人がいた。この人、印人として家を成さんとし、篆刻家を標榜したが、雅印の注文は一向に無く、食うに事缺くような仕儀になってしまった。そこでやむなく印判屋を開いたところ、多くの注文があり、商賣繁昌(これを一斗二升五合という。五升倍升々半升、ゴショウバイマスマスハンジョウ)して、食うに餘り有るようになった。そこで楠山先生、篆刻など雅なる事をやっていては損ばかり、印判屋という俗なる事をやれば、大いに利得がある、というので、以後「雅損俗得」と稱したという。

 今の篆刻家を自稱する人はもとより中小零細の諸先生方、いかがなものでござろうかな。

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