北川博邦(きたがわ・ひろくに)
昭和14(1939)年生まれ。國學院大學大学院博士課程日本史学専攻修了。文部省初等中等教育局教科書調査官(国語科書写・芸術科書道担当)を経て、國學院大學教授を務める。日本篆刻社を創弁し『篆刻』雑誌を編輯刊行。
編著に『清人篆隷字彙』(雄山閣出版、1978年)、『日本名跡大字典』(角川書店、1981年)、『和様字典』(二玄社、1988年)、『日本上代金石文字典』(雄山閣出版、1991年)、『章草大字典』(雄山閣出版、1994年)、『モノを言う落款』(二玄社、2008年)など。
第22回 超平仄(四)
淺野梅堂の寒檠璅綴には、超平仄の文字遊戯が少なからずあるので、それらについても記してみよう。ただし、梅堂は超平仄なんてことは少しも言っていない。
次の五字を何と讀むか。重重重重重。
重きを重(かさ)ぬれば重ね重ね重し、と讀む。
では次のこれは。遲遲遲遲遲。
遲きを遲(ま)てば遲てども遲てども遲し。
梅堂はこれを五山の僧徒の遊戯であろうと言っている。そこで、よせば良いのに、吾もまたしてみむとて、尚尚尚尚尚、とひねり出してみた。尚の字には、高、加、助字の「なほ」などの義がある。それ故にこれは「尚(たか)きを尚(くは)ふれば尚(な)ほ尚ほ尚(たか)し」と讀ませたいのだが、いかがなものだろう。
また他には、吹笙竹生島という句を擧げている。これは笙の字は竹生の二字からできているというシャレである。
梅堂はこれの對になる句を擧げていないので、よせばいいのに吾もまたしてみむとて、選硯石見國としてみた。ちと殘念なるは、石見には硯を作るに適した石を産しないことである。それならば仕方ない、洗硯とでもしておこうか。
前々回に記した若年寄、廣小路につけるべき語をいくつか思いついたので、事のついでにそれも書き留めておこう。先づは大小姓、ついで小大君(古筆の筆者名。こおほきみ、またこだいのきみともいうそうな)、豆大福(豆には小の義がある)、紅白粉(べにおしろい)、裏表紙、古新聞等々。まだまだ幾つもあるから、お暇のある人は、少し考えてみてはいかが。どうせこんな駄文を讀むような人は暇人にきまっているのだから、ちとオツムの體操でもするようなつもりで考えてみては。