文字遊戯 文/北川博邦 第21回 超平仄(三)

北川博邦(きたがわ・ひろくに)

昭和14(1939)年生まれ。國學院大學大学院博士課程日本史学専攻修了。文部省初等中等教育局教科書調査官(国語科書写・芸術科書道担当)を経て、國學院大學教授を務める。日本篆刻社を創弁し『篆刻』雑誌を編輯刊行。

編著に『清人篆隷字彙』(雄山閣出版、1978年)、『日本名跡大字典』(角川書店、1981年)、『和様字典』(二玄社、1988年)、『日本上代金石文字典』(雄山閣出版、1991年)、『章草大字典』(雄山閣出版、1994年)、『モノを言う落款』(二玄社、2008年)など。

第21回 超平仄(三)

 吾が邦における漢字の使用は、その音のみではなく、國訓という獨自の者がある。音で用いる場合でも、平仄など殆んどかかわりなく用いているのであるから、訓の場合は平仄もヘッタクレもないのである。

 源義經の家来の僧兵に武藏坊弁慶という者がいた。その武藏坊と稱したのは弁慶の弁が片假名のムサであるので、ちとシャレてみたのである。ずっと後の時代に作州宮本村の弁之助という暴れ者、諸國を漫遊してきた有馬喜兵衛なる武藝者と立合い、これを打ち倒したので、我もまた諸国に漫遊して武名を揚げてくれんと思ったが宮本弁之助ではあまり強そうには聞こえない。そこで弁慶の故知にならい武藏と稱した。

 この話は前に書いたことがあるが、ふと思いついたのだが義經の家来のもう一人の僧兵に常陸坊海尊という者がいる。これはひょっとすると、常陸海は常陸の海、また常に陸海という兩様の讀み方ができるということから思いついたシャレではなかったろうか。

 この當否はともかくとして、これより凡そ七百年ほども後の明治の御世に詩文家や書家、畫家などが聚まった會集があり、その中の一人が、但馬牛、これの對になる句を思いつかない。どなたかうまい句を思いつかないかと。すると別の一人が、常陸海というのはいかがでござると言った。これは但馬(たじま)の牛、但(た)だ馬牛と兩様の讀み方ができ、常陸海はピッタリの對語になる。會集したる者、みな膝を打ってこの當意卽妙の才を嘆賞したという。事は井原雲涯の鳴鶴先生叢話に見える。

 ここでやめておけば良いのだが、ならば吾もまたしてみむとて、伊豆粱。伊豆の粱(あわ)、伊(こ)れ豆粱となるのだが、どうもあまりうまくないな。

(次回に続く)

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