北川博邦(きたがわ・ひろくに)
昭和14(1939)年生まれ。國學院大學大学院博士課程日本史学専攻修了。文部省初等中等教育局教科書調査官(国語科書写・芸術科書道担当)を経て、國學院大學教授を務める。日本篆刻社を創弁し『篆刻』雑誌を編輯刊行。
編著に『清人篆隷字彙』(雄山閣出版、1978年)、『日本名跡大字典』(角川書店、1981年)、『和様字典』(二玄社、1988年)、『日本上代金石文字典』(雄山閣出版、1991年)、『章草大字典』(雄山閣出版、1994年)、『モノを言う落款』(二玄社、2008年)など。
第18回 離合と謎語(五)
話の流れを振り返るため、前回の文章の一部を再度取り上げます。
漢字はもともと縦書き用の字體である。橫書きにしたら返り點や送り假名はどう振ればよいのだ。もっとも漢文そのものは四角い字をただそのまま並べただけのものであるから、返り點など無用であると言われようが、この返り點、送り假名をつけた訓讀法というのは日本人の大發明であり、もともと品詞の別もさだかでなく、單複の別もはっきりせず、時制なんてものもなく、なによりも管到がどこまでかも判りがたいものをはっきりとさせるという著効がある。
言歸正傳、かような多様な讀み方、解釋ができる好例があるので、それを紹介しておこう。これは實際にあった例ではなく、恐らく明または清代の文人の戯作であろうが、仲々よくできている。
これはある老人の家産の處分に關する遺言書である。これただ字を並べただけであるが、その並べ方に一工夫がある。これを素直にそのまま讀むと、「老漢古稀にして、一子を生下す。人説くらくは皆な是れ我が子に非ずと。家産は全部女婿に付与す。外人は前(すす)み來りて爭執するを得ざれ」という。
これを得た女婿は得たりや應とばかりに遺産を勝手に處理してしまう。かの老漢は、その遺兒に別の遺書を与え、もし女婿がそなたが成人するまできちんと面倒を見てくれたならば、遺産はそのまま与えてよい。もしそうではなかったならば、これを持ってお恐れながらとお上に訴え出るがよい、と全く同文の遺書を与えた。
ただこれには女婿に与えたものとはちがってきちんと句讀が切ってあった。女婿は勝手氣ままに家産の處分をして、遺兒の世話など一向に見ようともしなかった。このため遺兒は成年に達した時に、恐れながらとお上に訴え出た。
そこで知縣殿、早速女婿を呼び出して問い討したところ、女婿は、これこの通り遺言書があります、と得意然としてそれを取出して示した。それを見た知縣殿、このようなものがあってはいかんともしがたいとて、その方の言分聞届けるわけにはまいらぬぞ、と申渡したところ、その遺兒、あいや暫くお待ちを、實は私も同じ遺言書を持っております。それを見くらべた上で公正なるご判斷を、とその遺言書を差出す。それを見た知縣殿、これにてきまりだ、と女婿から遺産を取上げて遺兒に返した。
この遺兒に与えられた遺書は「老漢古稀にして、一子を生下す。人の説くは皆な非にして、是れ我が子なり。家産全部付与す。女婿外人は前み來りて爭執するを得ざれ」となり、全く逆の意味になってしまうのである。
このようなやり方は、今でもよく使われているので、あちらと契約などをする場合は御用心御用心、私もこの手に出合ったことがあるが、見破って危うきを逃れたことがあった。