文字遊戯 文/北川博邦 第16回 離合と謎語(三)

北川博邦(きたがわ・ひろくに)

昭和14(1939)年生まれ。國學院大學大学院博士課程日本史学専攻修了。文部省初等中等教育局教科書調査官(国語科書写・芸術科書道担当)を経て、國學院大學教授を務める。日本篆刻社を創弁し『篆刻』雑誌を編輯刊行。

編著に『清人篆隷字彙』(雄山閣出版、1978年)、『日本名跡大字典』(角川書店、1981年)、『和様字典』(二玄社、1988年)、『日本上代金石文字典』(雄山閣出版、1991年)、『章草大字典』(雄山閣出版、1994年)、『モノを言う落款』(二玄社、2008年)など。

(編集者より)前回より少し間があきました。第15回で取り上げた「大明寺壁」の内容を再度紹介するとともに、新たなエピソードも追加された本文をお楽しみください。

第16回 離合と謎語(三)

 前に言ったように離合とは文字の點畫をつけたり離したりして全く別の解釋をすることである。文字の古い形である篆書に於いてもこのことは行われたが、篆書から隷書に移り變わる時の點畫の變化、いわゆる隷變によって多くの別字(異體字)ができたことにより、離合は更にやり易くなり、その用途も廣まったのである。

 離合は漢代にかなり廣く行われたが、その多くは、まだ實用の域に止まっており、眞に遊戯的な者は、六朝期の離合詩が盛んに作られた頃ほど多くはない。この離合詩、みなそれなりに巧思を凝らして作られており、うまいなぁ、と思う者は少なからずあるのだけれど、これは面白いと思うような者は案外少ない。

 離合というのは、その本来の目的(であるかどうか知らないが)である讖緯、諷刺、嘲謔、誹謗、謎語などに用いられる方が、よほど面白いのである。

 唐代あたりになると、そのような者が多く出てくる。今はその中からちと面白そうな者を紹介しておこう。

 揚州に大明寺という名刹がある。その大明寺の壁に題した謎語がある。

 太保の令狐綯が淮海に鎭せし日、 支使の班蒙と從事とともに大明寺に遊び、その西廊に題した詩を見た。詩に、一人堂堂、兩曜重光、泉深尺一、點去氷旁、二人相連、不欠一邊、三梁四柱烈火燃、添却雙鉤兩日全という。

 誰もその詩の意味を解することができなかったが、獨り班支使のみそれを解し、一人堂堂は、一と人とでとなる。兩曜光を重ぬ、とは兩曜日と月と合わせとなる。尺一とは一尺一寸、つまり十一寸、合してとなる。點去氷旁は字。二人相連は字。不は一邊を欠(か)くとは、不の下の左拂が足りなくなるとの字となる。欠は今は缺の字として用いられるが、本来全く別の字で、音はケン。ただし欠には不足(たりない)の意味があるから、「かく」と訓じてもよかろう。三梁四柱は三本の梁(はり)と四本の柱、つまり三横畫と四竪畫、その下で火が燃えるのであるからの字となる(圖1)。

圖1 曹全碑「無」

 雙鈎を添却すれば兩日全しとは、鈎は「かぎ(★印)」、これを二つ添えれば二つの日の字ができるというのであるから

★印 かぎ
鈎を添えれば二つの日ができる字は「比」

 そこでこの詩は「大明寺水天下無比」ということになるではないか、と言ったので衆みなその才智に嗟嘆したという。寺の老僧に問うたところ、だいぶ前の頃、一人の游客があり、この詩を題して、其の名も告げずして去ったという。

 この詩が流傳してより、品水の論も盛んになり、陸羽の茶經は二十の中の第十二泉とし、張又新の煎茶水記は七の中の第五泉としたので、以後は天下第五泉と稱せられるようになったという。

 大明寺には行ったことがあるが、この泉の水を飲むことはできなかった。そもそもシナは水の悪いところで、そのまま飲める水など殆んど無きに等しい。以前西遊した折、曲阜の周公廟の前の道路の井戸から水を汲んでいた者がいたので、その水は飲めるかと聞いたところ、飲めるという。共に行った者は皆口々にやめておけと言ったが、かまわず飲んでみたら、まあなんとか飲めたし、腹をこわすようなこともなかった。また北京では、この水は飲んでもよい、という掲示のある水道があったので、いざ試しに飲んでみようと蛇口をひねったが、水は出てこなかった。あちらのやることはそんなものさ。

 吾が日の本の邦は世界でも稀な水に恵まれた地である。それでも近年は恵まれ過ぎて水災が頻發しているのは困ったことだが。

 そんなわけで、吾が邦では品水のことなど殆んど行われることなく、江戸の名水品彙なる書が一つ有るくらいの者である。幕末の三筆の一人に數えられる卷菱湖は、麻布善福寺の楊柳水(俗に柳井戸という)を江府第一とした。六十年ほど前に飲んでみたことがあるが、仲々良い水であった。今は種々の工事で水脈もあちこちで斷ち切られてしまっているであろう。本阿彌光悦は磨墨の水にも一々うるさかったというが、菱湖ははたしてそこまであれこれ言ったかどうかは知らない。

(編集注)通史的な意味合いでシナと表記しています。

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