鑑定から鑑賞へ 人と書と歴史を探究する 文/増田 孝 第47回 本阿弥光悦筆「蓮下絵百人一首和歌巻」(7の5) 復元の試み

増田 孝(ますだ・たかし)
1948年生まれ。東京教育大学卒業。博士(文学)。愛知文教大学教授、学長を経て、現在、愛知東邦大学客員教授。公益財団法人永青文庫評議員。テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」鑑定士。
主な著書に『光悦の手紙』(河出書房、1980年)、『茶人の書』(文献出版、1985年)、『書の真贋を推理する』(東京堂出版、2004年)、『古文書・手紙の読み方』(東京堂出版、2007年)、『書は語る 書と語る 武将・文人たちの手紙を読む』(風媒社、2010年)、『本阿弥光悦 人と芸術』(東京堂出版、2010年)、『イチからわかる 古文書の読み方・楽しみ方』(成美堂出版、2024年)、“Letters from Japan’s Sixteenth and Seventeenth Centuries”(Institute of East Asian Studies, University of California, Berkeley, 2022)など。

第47回 本阿弥光悦筆「蓮下絵百人一首和歌巻」(7の5) 復元の試み

 和歌番号38は欠落。

(1)和歌番号39~41

図1
(出光美術館蔵 33.2×51.5cm)
図版出典:同館 絵はがき

      参議等
39 浅茅生のをのゝしの原
 しのふれと餘てなとか
 人のこひしき
      平兼盛
40 しのふれと色に出にけり
 我恋は物やおもふと
 人の問まて
     壬生忠見
41 こひすてふわか名ハまたき
 たちにけり人しれす
───(継ぎ目)───
 こそおもひそめしか

 もし、1枚の料紙幅を90数cmと想定すると、この断簡はおよそその半分ほどである。和歌は3行書きされる。3行書きにすることで光悦様式の特徴がさらに発揮されるようになったことはすでに述べた。ここで書を見ると、紙面中央付近の40「平兼盛」のあたり、肉太の運筆がひとつの見所となっている。各行ごとに、漢字の重厚な線と、仮名の伸びやかで軽快な線とがバランスよく布置されている。この紙面からは躍動感、リズム感といった心地よさが感じられ、見事である。
 継ぎ目を見ると、41「たちにけり人しれす」と「こそおもひそめしか」との間に継ぎ目がある。しかし、下絵は連続していることからすると、これはもとの料紙の継ぎ目である。
 下絵には、金泥を用いて、これまでにはない大きさで蓮葉が描かれ、下絵の圧倒的な迫力が感じられる。和歌の揮毫に先んじて描かれる下絵において、こうした画面展開が行われていることは、注目に値することであろう。
 なお、本断簡を含む39~48については、次の(2)においても重ねて述べることにする。

(2)和歌番号42~48

図2-①
図版出典:『浅田家入札目録』(67番、東京美術倶楽部、昭和9年)

     清原元輔
42 契きなかたみに袖を
 しほりつゝすゑの松山
 波こさしとハ
     権中納言敦忠
43 逢みての後の心に
 くらふれはむかしハ
 物をおもハさりけり
───(継ぎ目)───
     中納言朝忠
44 逢事の絶てし
 なくハ中/\に人をも
 身をもうらミさらまし
     謙徳公
45 哀共いふへき人は
 おもほえて身の徒に
 成ぬ可哉
───(継ぎ目)───
     曾禰好忠
46 ゆらのとを渡る舟人
 かちを絶行衛もしらぬ
 恋の道哉
───(継ぎ目)───
     恵慶法師
47 八重葎しけれる宿
 のさひしさに人こそ
 見えね秋ハ来にけり
     源重之
48 かせをいたミいはうつ波の
 己のミ砕て物をおもふ
 ころかな

 図2-①(和歌番号39~48)は『浅田家入札目録』に「風炉先屏風」として掲載されたものである。また、これは『書道藝術』第18巻(108~109頁)にも掲載されている。そして、先述したとおり、今、このうちの39~41は、断簡(図1 出光美術館所蔵)として存在している。このことを考えてみるに、『浅田家入札目録』に「風炉先屏風」として掲載されたものが、その後、分割されたというふうに推測される(そのうちの39~41が出光美術館に収蔵されたのであろう)。

和歌番号39〜48が掲載された
『書道藝術』第18巻の見開き(108〜109頁)

このうち、和歌番号42〜48の部分を下に掲載する(図2-②③④)
図2-②
図2-③
図2-④

 先述のように、『書道藝術』第18巻には39~48が掲載されている。図版から、どうやらこれらは一連の写真だとみることができる。それならば、もしかするとこの中の39~41が、屏風から切り離される以前の撮影かとも考えられるが、詳細は不明である。
 ここでもうひとつ、『浅田家入札目録』掲載の写真からわかることがある。これは風炉先屏風なので、左右2扇から成り立つものであり、その中央部分に、屏風装にされたときの切断痕が存在することである。しかしこのこと自体に問題はない。
 また、風炉先屏風(図2-①)の状態からわかることでもあるけれど、43「…物をおもハさりけり」と44「中納言朝忠」との間は、ちょうど屏風両扇の中央の折り目に位置するところなのである(図2-②のA)。下絵のこの部分はつながっていることがわかり、この切断痕は風炉先屏風に仕立てられた際に作られたものだということがわかる。
 継ぎ目B(図2-③)を見ると、45「成ぬ可哉」と46「曾禰好忠」との間の余白も自然である。料紙に欠落はなく、これはもとからある料紙の継ぎ目と見てよいであろう。
 しかしながら、継ぎ目C(図2-③)を見ると、46「恋の道哉」と47「恵慶法師」との間は和歌が連続しているにもかかわらず、行間余白は不自然に狭いことに気づく。さらによく見ると、「哉」の第3画目のはじめ(左端)が切れているのがわかる。ギリギリの位置で切断されたので、切断が字にかかってしまったのである。これらが何を物語るかといえば、もとの巻子装から、ただちにこの風炉先屏風に仕立てられたのではなくして、その前に、すでにここが切られていた事実を示すものにほかならない。
 さて、下絵に注目すると、45「謙徳公」の後ろ、屏風第2扇の後半で絵のモチーフが変わるのである。それまでの丸い蓮葉ばかりだったものから、蕾へと変化している。

 複製本の和歌番号49・50(前半の末尾の和歌)は欠落。ここから後半(51~100)が始まるのである。以降、前半との書式・下絵の変化にもじゅうぶん注意しつつ、眺めてゆくことにしよう。

(3)和歌番号51~53

図3
(複製本)

───(継ぎ目)───
     ふちハら実方
          朝臣
51 かくとたにえやハ
   伊吹のさしも
         草
    さしもしらし
          な
     燃る思を
     藤原道信朝臣
52 明ぬれハ
     暮る物とハ
         知乍
    猶うらめし
         き
     あさほらけ
          哉
     右大将道綱母
53 なけきつゝひとり
        ぬるよ
           の
     明間は
 如何に
    ひさしき
       物とかハ
          し
           る
───(継ぎ目)───

 ここからは和歌巻の後半となる。1枚の料紙に、51~53の3首がそれぞれ6、7、9行に散らし書きにされる。ここからはすべて散らし書きとなる。書式の大きな転換が見られるわけであるが、このようなことは揮毫者光悦の判断に委ねられていたと考えられる。また、当初からすでに方針であったかもしれないし、そうではなく、前半の終了した段階でそのような転換をした可能性もある。前半50首を終了したこの段階において、揮毫者と料紙制作者、さらには依頼人などを含めて後半の構想についての合意があった可能性もないわけではない。
 それには理由がある。51以降を眺めると、書のみならず、下絵の描き方にも変化がみられる点からも、前半を書き上げた段階で、書式の転換がはかられたのではなかったか。後半において、行間を広々ととることのできる散らし書きを採用することによって、「蓮下絵和歌巻」後半の印象は大きく変わるのである。このような変化は、揮毫者にとってもいろんな意味でゆとりをもたらすこととなったであろう。それがいかなるものであったか、さらに具体的に見てゆこう。

(4)和歌番号54~56

図4
(複製本)

───(継ぎ目)───
     儀同三司母
54 忘しの行
      末
    まてハ
       難
        けれ
          ハ
   今日を限
       の
      命
       とも
        かな
     大納言公任
55 瀧の糸ハ
      たえて
    久敷
      なり
       ぬれ
         ハ
   名こそ流て猶聞え
          けれ
───(継ぎ目)───
     和泉式部
56 あらさらむ此世の外
          の
       おもひて
           に
     今一度の
       あふ事
         も
          か
           な
───(継ぎ目)───
     紫式部

 和歌番号54~56の3首が、それぞれ11行、8行、9行に散らされている。行数が多い分、それだけ紙面を多くとり、字粒も大きく書くことができる。漢字はより太く大きく、仮名は細く小さく、ときには伸びやかに書くことにより、書はダイナミックに変化する。
 下絵には蓮の蕾が描かれている。料紙後半には開花した蓮華と膨らんだ蕾とが描かれる。下絵を注意深く見ると、料紙の奥の部分(56「あふ事もかな」と57「紫式部」との行間)には、ごく僅かな料紙の欠落がみえる。料紙完成時あるいは揮毫当時にこれがあったとはとても考えにくい。おそらくは後世の切断痕と解すべきであろう。

(5)和歌番号57~58

図5
(複製本)

───(継ぎ目)───
     紫式部
57 廻逢て
     見しや
      それ
        とも
     わかぬ
        まに
    雲隠にし
      夜半の月
        か
         な
     大弐三位
58 有馬山いなの
      さゝ原
        かせ
         吹は
  いてそよ人を忘
        やハ
         する
───(継ぎ目)───
───(継ぎ目)───
      赤染衛門

 和歌番号57と58が、1枚の料紙に10行と7行とで書かれる。書を見ると、以前よりも散らし書きの行数がかなり増えて書かれるために、いっそう紙面が広くとられている。57「廻逢て…夜半の月かな」が料紙幅の端から3分の2ほどまで書かれ、58は奥の3分の1の紙幅に書かれている。このことから、行取りをかなり自在に駆使していることがわかる。
 細部にわたることになるが、58最終行の「やハする」の「す」の字に注意してみたい。光悦は継ぎ目にまたいでこの字を書いているのである。ところが、「す」の文字としての結構に不自然さは見えない。蓮の茎もつながっている。これはもとの料紙の継ぎ目だとわかる。しかし、この歌とその次に来る「赤染衛門」との行間余白は不自然に狭いうえに、下絵に描かれる、蓮の茎には欠落箇所がある。ここの切断は後人によるものと判断される。

(6)和歌番号59〜61

図6
(複製本)

───(継ぎ目)───
     赤染衛門
59 やすらハて
      ねな
        まし
     物をさよ
        更て
  かたふくまての
    月を見
       し哉
     小式部内侍
60 大江山いく野の
    道の遠
      けれハ
  またふミも見す
     天の橋
        立
     伊勢大輔
61 古の奈良
     の都
       の
     八重桜
────────継ぎ目A
   今日九重
       に
────────継ぎ目B
    にほひぬる
        かな
────────継ぎ目C

 この料紙には、複雑な切り継ぎのあとがのこされている。それは61の和歌である。継ぎ目C、継ぎ目B、継ぎ目Aと3紙にわたって、下絵の蓮の茎が左下から右上に、時計の2時の方向に描かれている。よく見ると継ぎ目A・Bの部分では茎が繫がっている。このことから、継ぎ目A・Bはもともとの継ぎ目と考えられる。ところが、継ぎ目Cのところでは蕾も同様に3分の1ほどが欠落し、さらに、今述べた斜めの茎の下部も同様に欠落する。にもかかわらず、継ぎ目Cの後ろに書かれる和歌は62「清少納言」であって、ここに欠落は見えないのである。さらにまた、「清少納言」の前の行間余白はあまりにも狭い。よって、この切断は後のものと判断される。
 なお、これらの点を含めて、中田勇次郎は次のように述べていた(『書道藝術』第18巻、195頁)。

 ただ一つ問題のあるのは、第六十一首と第六十二首の間につぼみが一輪あるのが、左半が切断されているのに、歌の句はつづいて書かれていることである。これはさきにえがかれていた図の一端を切って継いで、その上から和歌を書いていることになり、紙をついでからえがいたのでなく、画をえがいてから継いでいることがわかる。この場合は紙の長さの都合で、やむをえずこうなったのではないか。

 中田の言うように、「画をえがいてから継いでいる」ことはまちがいないのだけれど、そのようになった理由を、「紙の長さの都合で、やむをえずこうなった」とする解釈は、成り立たないと思われる。それが誰の判断なのか、まったく説明がないのである。光悦は、下絵を切断してまで料紙を縮小することは考えないであろう。下絵の蕾の上で和歌一首を書き終えているからである。もとはこの後ろに余白があったはずである。また、これまで私が縷々述べてきたように、「蓮下絵和歌巻」には、随処にのこされる料紙の欠落があったわけだけれども、これらの継ぎ目痕や、行間余白の不自然な狭さについては、中田は指摘していない。

 今回は和歌番号39から61について考察してきた。さいわい、後半部分の51~61は複製本によって確認できる。実際、どのように散らされているのかを知るために、散らしの行数を数えてみると次のようになる。

  51 6行
  52 6行
  53 8行
  54 11行
  55 8行
  56 9行
  57 10行
  58 7行
  59 8行
  60 6行
  61 8行

 ここからわかることは、6行から11行のあいだでまちまちであり、それらが自在に行われたことがわかる。

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