鑑定から鑑賞へ 人と書と歴史を探究する 文/増田 孝 第20回 滝本坊実乗と松花堂昭乗(上)

増田 孝(ますだ・たかし)
1948年生まれ。東京教育大学卒業。博士(文学)。愛知文教大学教授、学長を経て、現在、愛知東邦大学客員教授。公益財団法人永青文庫評議員。テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」鑑定士。
主な著書に『光悦の手紙』(1980年河出書房)、『茶人の書』(1985年文献出版)、『書の真贋を推理する』(2004年東京堂出版)、『古文書・手紙の読み方』(2007年東京堂出版)、『書は語る 書と語る-武将・文人たちの手紙を読む-』(2010年風媒社)、『本阿弥光悦-人と芸術』(2010年東京堂出版)、“Letters from Japan’s Sixteenth and Seventeenth Centuries”(Institute of East Asian Studies, University of California, Berkeley, 2022)など。

第20回 滝本坊実乗と松花堂昭乗(上)

 今回とりあげるのは、宇治の茶師・星野道斎(生没年不詳)に宛てた滝本坊実乗(?~1627)の手紙である。実乗は松花堂昭乗の師であり、いわば昭乗の育ての親であることは知られるとおりである。
 ここに掲げる手紙は、松花堂昭乗の書かと見紛うくらい、昭乗によく似ている。しかし、明らかにこれは昭乗ではなく、その師・実乗の筆跡であることもまたわかる。なぜなら、文中には「式部卿」(昭乗)の名が、再度出てくること、そして、署名や花押も昭乗とは違い、実乗のものと認められることなどの諸点から、そのように結論づけられるわけである。
 今日まで、私はたしかな実乗の筆跡と思われるものはほとんど見たことがなかった。しかしこのたび、新たに実乗書状が見つかる及び、江戸時代初期の能書家としてこれまで謳われてきた「寛永の三筆」(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)のひとり、昭乗の書風の起源は、あらためて考え直さなくてはならぬほど重要なものなのではないだろうか(『日本歴史』2023年7月号口絵に初出)。

図1 星野道斎に宛てた滝本坊実乗の手紙
(個人蔵 28.6×45.5cm)

 冒頭に、私は実乗の書をほとんど見たことがない、と書いたけれども、じつは実乗の花押だけはかつて見たことがある(図2)。それが「松喜安老」宛の次の手紙である。

図2 「松喜安老」宛式部卿昭乗の手紙
(所蔵者不明 25.2×38.9cm)

 図2の手紙を書いているのは式部卿昭乗で、その後ろに滝本坊実乗が名と花押とを添えているのである。
 昭乗の花押の上には「式部卿」「昭乗」とあり、実乗の花押の上には「滝本坊」「実乗」とあるわけで、しかも昭乗も実乗も形がたいへんによく似ていることは明らかである。
 「昭乗」の書き方は、「昭」の一部と「乗」の一部とを合せた形である。これは昭乗の書状にごくふつうに見られるものである。そして「実乗」とあるところは、「実」の字の「宀」(ウ冠)の下に「乗」の下部を繋いだもので、これらを1字のように書いている。花押の上の名の2字はこのように合字にされることは珍しくない。たとえば、藤原定家の書状によく見られる草名(図3)なども、これは一見したところ「家」と読めるけれども、じつは定家の「定」の「宀」と「家」の「豕」とを合わせたものであることが知られている。

図3 藤原定家の書状
(個人蔵 29.2×47.9cm)

 ところで、滝本坊実乗についての詳しい伝はほとんどわからない。寛永4年(卯の年)3月23日に亡くなったこと以外には、史料が遺っていないためである。大まかにいえる活躍時期としては、それ以前、およそ元和から寛永初年のころと捉えて大過ないであろう。
 なお、実乗の先師乗祐も「卯年」に亡くなっているとされるので、それを年表で見ると、慶長8年(1603)か、もしくは天正19年(1591)のいずれかであろうと推察されるけれど、はっきりとはしない。
 最近見出した手紙(図1)の花押が、かつて見た覚えのある花押(図2)と一致したことが今回の決め手のひとつである。滝本坊実乗が没して400年という長い時空を経て、初めてその書が姿が現われたことの意義はけっして小さいものではない。なぜなら、従来、昭乗の創始した書として少しも疑われることのなかった昭乗の書が、じつは師・実乗が創始したものであることが明らかとなったからである。
 実をいえば、私がこの手紙を初めて見たとき、すぐには実乗の筆跡とは気づくことができず、ここに至るまでに少しの時日を要してしまった。というのも、心の底にこの書は「昭乗のものに違いない」という先入主があったため、判断が遅れたのである。忸怩たる思いである。

(附記)
 なお、実乗の花押については、「男山惣山連判状」(『武者の小路』第3年第8号 武者の小路社、昭和13年9月)に掲載されたものと一致するということを、松花堂庭園・美術館の川畑薫氏からご教示いただいた。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次