今月の名品 vol.13 呉大澂 篆書対幅

呉大澂 篆書対幅
169×33cm×2

呉大澂 篆書対幅
清代末期

 今回ご紹介する作品は、呉大澂(1835~1902)の手になる篆書対幅で、上聯「経史要文尚宣雅頌」、下聯「春秋佳日共酌壺觴」です。
 呉大澂は、中国江蘇省呉県の人で初名は大淳、のち穆宗(同治帝)の諱(載淳)を避けて大澂と改めました。字を清卿といい、恒軒、晩年には愙斎と号しています。
 その生涯については、かつて上海図書館館長であった顧廷龍氏の「愙斎宣誓年譜」に詳しく述べられています。呉大澂の祖父は商人でありながら学問に努め、書画を好んでその所蔵するところも多かったといわれています。その環境下において、彼は若い頃から陳奐(段玉裁に学んで説文の学に詳しかった)について篆文を習い始めます。段注説文解字を教わったことが、その後の書と金石学に対する嗜好に大きな影響を与えたと考えられます。世に名高い「篆文孝経」などはこの頃に手書きされたもののひとつです。
 1868年(同治7年)進士になり翰林院庶士となった後、莫友芝をはじめとする当時の名流と親しく交わり、さかんに金石について論じ合い、中年以後は金文の書法を自家薬籠中のものとし、清朝末期の金石学会の大立者として、陳介祺や藩祖蔭らと古銅器の蒐集の多さで拮抗していたようです。そしてその鑑別考証の結果が『恒軒所見所蔵吉金録』や『愙斎集古録』などの著録に示されており、古文字学者としての業績のひとつが『説文古籀補』として著されています。
 兼ねて刻印にも長じ、画は惲寿平、黄易などを習い、山水・花卉をよくしています。また題跋なども方正にして流麗な行・楷書で多く書いています。
 今回の作は呉大澂の学識に裏付けられた小篆の体をなすものですが、やや正方形の字形をとりながら金文の筆法を交えた重厚な構えが特徴的であることから、晩年の作だと推察されます。

◉資料提供/光和書房
◉解説/橋本玉塵(書家・法政大学非常勤講師)

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