楊峴 隷書対幅
清代末期
今回紹介する作品は、楊峴(1819~1896)の手になる隷書対幅で、上聯「何所獨無芳竹」、下聯「幾生脩到某華」です。
楊峴は、中国浙江湖州府帰安県の人で諱を顕、字は季仇(季逑)、また見山。号は庸斎、藐翁 、遅鴻残叟など。咸豊5年(1855)の挙人で、常州・松江府知事に至りました。金石を嗜み、小学に精しく詩文をよくし、呉昌碩の師としてもよく知られています。
家に多くの旧書を蔵し、それらの巻を終日手から離すことはなかったといいます。書は隷書を得意としました。我が国の出版物としては『楊峴の書法』(髙木聖雨編、二玄社刊)が詳しく、46歳に書した「臨張遷碑」から亡くなる78歳までの作品がほぼ網羅されています。
特筆すべきことは、70歳以後の落款は「楊峴」と記すことが常ですが、歳を経るごとに「楊」字第11画目の角張った筆画の箇所が徐々に右下がりの流麗な筆致となることです。
また、比較的若い50~60歳代から曹全碑を始めとする礼器碑、乙瑛碑、史晨碑、石門頌、西嶽華山廟碑、衡方碑などあらゆる漢碑を臨書しており、おそらくはこの学書が楊峴という作家の軸となり、数多く残されている詩冊や尺牘の行書体に、いわゆる「金石の気」として影響をあたえ、右肩上がりの左払いを強調する結体として表出しているのではないでしょうか。
さて、今回の作品に目を向けてみると、楊峴の隷書にしては比較的静かな作風です。上聯によくある為書きがここにはないことから、落ち着いた心境で書したであろうことが推察できると思います。
◉資料提供/光和書房
◉解説/橋本玉塵(書家・法政大学非常勤講師)