今月の名品 vol.4  顔真卿「多宝塔碑」

巻頭

明拓
顔真卿「多宝塔碑」
唐・天宝11年(752)

 「大唐西京千福寺多宝仏塔感応碑」、略して「多宝塔碑」は顔真卿の不朽の名作として知られる。長安の千福寺に僧楚金の舎利塔が建立された経緯を記したもので、唐の玄宗の天宝11年(752)に勅命を奉じて岑勛が撰文して当時44歳の顔真卿が揮毫した。
 多宝塔碑は現存する顔真卿の作品の中で最も初期の作で、多肉豊肥、結法整密に加えて、用筆も明瞭でわかりやすいため、古くから習字の手本として使われている。
 馴染みのある名品のため、数多くの多宝塔碑の拓本が現在まで流布している。しかし、その殆どが古くても清末・民国期のもので、近代の拓も少なくないと言えよう。本品は明末の旧拓で、一番のキーポイントは碑の第31行から第34行までの数行の中央にある。清の康煕年間に多宝塔碑の左端の中部が傷んで、半円形の大きな傷ができたと言われている。具体的に言うと、康煕以降のものは、第32行の「合掌開」以下の6文字、第33行の「微空」以下の6文字、及び第34行の「正議」以下の7文字が破損しており、時代が下るにつれて破損部分も広くなっている。

(参考)
碑の第30〜34行の中央部分
出典:ColBase

 これに対して本品は、康煕年間に傷んだ部分がきれいに残っており、字口鮮明で拓調も古く、古趣を感じる事ができ、清朝までに採拓された佳品と考えられる。
 加えて、清朝初期の重臣である方承観(安徽桐城人、字は遐谷、号は宜田。乾隆2年に軍機章京となり、内閣中書、直隷総督などを歴任)と清末の画家・蔡鼎(またの名は鼎昌、字は公重、浙江銭塘の人。山水画に長じ、戴熙の意を得る)の鑑蔵印が多数押してあり、題簽も乾隆・嘉慶期の大学者である洪亮吉(字は君直、江北を号とし、著に『北江詩話』などがある)の筆で、巻末には「春江」と落款した道光9年の跋文が付いていることから、名家の逓蔵を経た由緒正しいものであるとわかる。

最終行に、碑の第32行の「合(掌)開……」
後ろから4行目に、碑の第33行の「微空……」
1行目に、碑の第34行の「正議……」
巻末の道光9年の跋文
洪亮吉の題簽

資料提供/光和書房
解説/劉斯倫

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