楽毅論(がっきろん)
348年(東晋・永和4年)
楽毅論は、春秋戦国時代の武将・楽毅の事績を三国時代の魏の夏侯玄(字は泰初)が論じた文章である。王羲之が永和4年(348)に書したとされる。黄庭経とともに、古くから王羲之の小楷の名品として伝えられる。唐宋時代の記録にも残され、現在、刻本として伝えられているが、その真の姿を留めているかは難しい。単帖や明代の集帖などに種々の刻本が収められ、光明皇后の臨書の用筆に通じるもの、またややふっくらとした穏やかな趣のものも伝来する。
(木雞室蔵併記)
楽毅論(がっきろん)
348年(東晋・永和4年)
楽毅論は、春秋戦国時代の武将・楽毅の事績を三国時代の魏の夏侯玄(字は泰初)が論じた文章である。王羲之が永和4年(348)に書したとされる。黄庭経とともに、古くから王羲之の小楷の名品として伝えられる。唐宋時代の記録にも残され、現在、刻本として伝えられているが、その真の姿を留めているかは難しい。単帖や明代の集帖などに種々の刻本が収められ、光明皇后の臨書の用筆に通じるもの、またややふっくらとした穏やかな趣のものも伝来する。
(木雞室蔵併記)