集王聖教序碑 しゅうおうしょうぎょうじょひ
672年(唐・咸亨3年)
届いた拓本を再度、晩翠軒や二玄社などの各種の影印資料と対照比較した。間違いなく宋拓である。最初から認識していたところであるが、中程の6開(12頁)300字ほどが、明時代の拓本で補われてあった。拓調、拓墨もであるが、拓出された文字の点画の鋭さが全く異なり、茫洋とした点画である。全体の15パーセントほどが明拓で、残りの8割余りは、間違いなく宋拓であった。
書聖・王羲之の書を集字して制作された名碑の宋拓を手にしたことは、嬉かった。最初目にしたときは、普通の板表紙で、題簽に「旧拓懐仁集王羲之聖教序 丁丑冬至 李正峰題」とあった(20年ほど前の題簽である)。跋文もその他の題記も無く、ごく普通の装幀であったから、見逃されたのであろう。入手してしばらく気に止め無かったのだが、隷書で「聖教序」と書かれた小さな内題簽が、1葉貼り付されてあった。その隷書の3文字の下方に皮紙の繊維の雑物の陰に汚れのような小さな文字に気が付いた。「宋搨神品」と更にその下にある印影を何とか判読した。「在在処処神物護持」である。貴重書の永く伝来しますようにの意であろうか。明確に先人は、宋拓と認識していたのである。
更に幾つかの捺されている鑑蔵印に目を向けた。「芥舟鈐印」「清遠山人」「洪氏詒孫」「張印燕昌」「文魚」「金粟山人」「燕昌」「飛白楼」「玄之又玄」「王杰」「葆淳」「右任読碑之記」「愙齋」「息園」等の印を確認できた。乾隆から嘉慶年間に活躍した飛白体をよくした張燕昌(1738〜1814)の印が多く、近代の書に優れた于右任(1903〜1964)等の印もある。途中で、一部が失われ、補修され、永い歴史を経てきた書物であることを物語っている。大切にしたい碑帖の一である。
伊藤滋(木雞室)