未来を見据える目と行動力で、新時代を切り開こうとする50歳世代に焦点を当てた新シリーズ。
インタビューを通して、人生100年時代の折り返し地点にあるかれらの過去、現在、そしてあるべき未来像にエールを送る。
未来を見据える目と行動力で、新時代を切り開こうとする50歳世代に焦点を当てた新シリーズ。インタビューを通して、人生100年時代の折り返し地点にあるかれらの過去、現在、そしてあるべき未来像にエールを送る。
vol.2 石川青邱
文/太田文子(游墨舎)
2023年第10回日展において、石川青邱氏は2回目の特選を受賞した。それは現体制にあっては、とりもなおさず書壇のメインストリームとしての資格を得たということである。
石川氏は1970年、東京の自由が丘に生まれ、その地で育った生粋の都会っ子である。書道人生の始まりは、小学校4年のとき近所の塾に習字を習いに行ったことだ。習い始めたら、字をきれいに書くという行為が楽しくなってきて、周りからも字がきれいだと言われていたという。中学校でも、図書館の標語を書いてほしいと頼まれたこともあった。
そのうち、塾の先生から大学で書道をもっとやってみたらと勧められ、先生が入試について大東文化大学に電話したとき、たまたま電話に出たのが生涯の師となる有岡シュン崖氏(※シュンは「夋」に「阝」)だった。そのまま大学に進学し、1年のときから有岡門に入り指導を仰ぐことになる。
書道部に入部すると石川氏は、自分はまあまあ書ける方だという思いを打ち砕かれる。腕自慢揃いのその中で自分が頭ひとつ抜けるためには、書くことだけでなく知識をつけなければと、書道全集や字典やらを買い、学ぶ日が続く。それは本格的に書の道に入っていく実感を得た時間だった。3年のときに、書道部の幹事長(部長)選挙にも立候補して当選。書道部員は180人ほどいたが、それくらいできなければプロになれないぞという気概を持っていた。
卒業後、書道に関連する仕事を求めて墨汁を扱う開明株式会社に入社し、営業担当として勤める。垣根を超えて広く書道業界のことを知ることができ、また交流も広がったが、次第に仕事と展覧会作品制作との “二刀流” の限界も感じるようになっていった。将来設計を考え、35歳で退職。書塾を開いたり、学校の非常勤講師を務めたりしながら、石川氏がプロたらんとの思いで書に専念する生活が始まった。
石川氏の日展特選作は、どちらも金文二文字の作だ。彼が捉える金文の少字数の醍醐味というのは、白と黒の空間の構成をギリギリまで突き詰めるということにあり、多字数では「表現し切った感」が出ないという。
その源流は、大学入学前後に遡る。青山杉雨や有岡シュン崖の金文や篆書作品を見て感銘を受け、その道に行くのにはどういう基礎が必要なのかと考えて、鄧完白や呉譲之を臨書した。失敗しつつも金文作品に挑戦し、25歳くらいから手応えを得るようになり、28歳で日展に初入選。以来、ずっと金文の少字数で勝負してきた。思うに金文少字数は、石川氏の持つ美意識に最もよくマッチする表現方法といえるのだろう。これからもさらに突き詰めていくに違いない。
ところで、50歳代という年代は、作品制作が充実するとともに、後進の育成にも目配りが必要となってくる。石川氏も、すでに師・有岡から書道研究玄筆会の理事長を託され、会の運営や後進の指導も担う立場となった。
石川氏は、多くの人に長く書を続けてもらうには、将来プロとして立ちたいと考えているか、趣味の範疇として捉えているかによって、その意向を尊重した指導をすべきと考えている。展覧会においても、全てに出品しましょうとなると負担が大変なので、続かない。社中展には出さないが謙慎展は頑張るという人がいても、それは各人の事情として考慮しないといけないのではないか。続けられる環境が必要だと訴える。
また、書道研究玄筆会では先生にお手本をもらって書くということをやめよう、と提唱している。臨書したものを元に、どうやったら作品に展開できるのかという方法を、石川氏はコロナ禍の3年間でA4の小冊子『ステップアップ 一からの書道 ~臨書から創作へのプロセスを徹底解剖~』にまとめた。臨書作品をまず作って、基礎を作る。それから倣書をして、自分で作品を作ってみる。作る要領さえわかれば、難しいものではない。そうやって力をつけていけば、プロにもなれるし弟子にも教えられる。次の時代を考えて、これから30年くらいこの要領で稽古を進めていけば、この会も飛躍できるという将来像が彼の頭の中にある。そのための講習会も九州と静岡で催している。とはいえ、愛好家の裾野を広げるということも大事なので、必要に応じてお手本も書く。「両輪ですよ」。
石川氏は、地元の小学校に毎年ボランティアで書き初め大会の指導と審査に行っている。子供の時に筆を持った経験がないと大人になっていきなり筆を持つということは難しいから、という種蒔きだ。書を習っている人には、お孫さんの書を見てあげてと促したりもする。
若い弟子たちは、インスタグラムで自分の作品を発表している。それを見て、石川氏も刺激されてやってはみたものの、立場を考えると気楽にはできないという。そこはSNSと割り切って、お気楽、自由気儘に振れても良い気もするが……。
また、20代から40代前半くらいの若手50人ほどでグループラインを作って、臨書研究会を行うようになった。石川氏がたとえば「九成宮醴泉銘」とお題を出し、それぞれが毎週1度、半紙の臨書を投稿する。50回ほど続けてきたが、会えない人と交流ができ、ひいては会の結束になるという良い効果を感じている。
いま石川氏は、60歳での個展を企画しているという。そのときは金文作品のほか、多少の連綿が入った行書大作や、米芾風の対聯、文人趣味的なもの、楷書も書きたい、と構想は膨らんでいるようだ。漢字かな交じりについて問うと、それまで培ってきた技量の中で、漢字の行書やかなが無理なく調和するものができればいい、と目指す方向性は決まっている。書家2世でもないのに、早くから「この道しかない、この道をいく」人生を歩んできた石川氏。運命的に出会った師匠譲りの、どんな書体・書風もこなす力量と、書のプロであるという矜持を持って臨む、少し先ではあるが60歳の個展に今から期待したい。
石川青邱(いしかわ・せいきゅう)
現在(2024年3月)、日展会友・読売書法会理事・書道研究玄筆会理事長
改組 新 第7回日展特選受賞・第10回日展特選受賞
◉書道研究尚美社(代表・石川青邱)ホームページ
https://www.shoubisha.jp